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聖書個所:ヨハネの福音書4:43~54 2015-2-22礼拝
説教題:「イエス様、第2のしるし」
【導入】世の中にはどんな事にも、利害が絡み、賛否両論があり、白黒をつけられない事のほうが多いようですが、イエス様に対する評価も、賛否両論あったようです。
イエス様のなされた奇蹟、語られた真理に対して、両極端の反応があったのです。
パリサイ人や律法学者、祭司たちはイエス様を非難し、拒絶しましたが、サマリヤ人は歓迎し、自分たちの所に滞在して下さるようにと強く願ったのでした。
ユダヤ人とは犬猿の仲であったサマリヤ人が、ユダヤ人であるイエス様を迎え入れるは、サマリヤ人にとって大きなチャレンジだったと思いますが、サマリヤ人の地を訪問し、サマリヤ人の町に留まったイエス様はともかく、弟子たちにとっては覚悟の決断だった事でしょう。
何しろユダヤ人とサマリヤ人は一切付き合いをしなかったのですから。
普通のユダヤ人教師なら、どんなに懇願されてもサマリヤ人の町には決して滞在しなかったでしょうが、イエス様はサマリヤ人の願いに応えて下さって、二日間もスカルの町に留まって、多くのサマリヤ人と交わりを持たれました。
それはサマリヤ人も救いの対象であり、神様の救いのご計画に組み込まれている民だからです。
サマリヤ人も神様に愛されている民なのです。
イエス様が語られた言葉を聴いたサマリヤ人は「この方がほんとうに世の救い主だと知った」と告白しています。
最初はふしだらな一人の女との会話から始った伝道ですが、今はスカルの町全体を巻き込む大きなうねりとなったのです。
スカルの町では、サマリヤ人の前では一つの奇蹟もなさらなかったのに、多くの人がイエス様の語られた言葉だけで信仰に入ったのは本当に不思議な事です。
多くのパリサイ人や律法学者がイエス様の奇蹟を目撃して、イエス様をサタンの頭だ、と断定し、ゼルバベルの力で悪霊を追い出しているのだと非難する人々がいる一方で、サマリヤ人はイエス様の御言葉を聞いただけでイエス様を世の救い主だと告白したのです。
この違いは何処から来るのでしょうか。
一方は伝統に縛られ、権威を尊重する余り、自分たちの尺度に合わないものを拒絶する偏狭な心、党派心、特権意識でしょう。
もう一方は偏見を持たず、語られる言葉から真理を汲み取ろうとする、柔軟な心でしょう。
勿論、サマリヤ人の中にも偏狭な人や、ユダヤ人排斥主義者のような人がいた事でしょうし、ユダヤ指導者の中にもイエス様を信じる者がいたのですが、スカルの町の人々は聖霊の働きを阻止しようとはせず、聖霊の自由な働きに対して従順だったのは確かでしょう。
それは4章25節の女の言葉からサマリヤ人の心構えとして知る事が出来ます。
「女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」」
「いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう」
この告白から、サマリヤ人にはキリストを受け入れる心の備えが出来ていた事を伺い知る事が出来るのです。
伝統に縛られてイエス様を拒絶したユダヤ人指導者層と、何と大きな違いでしょうか。
このサマリヤでの出来事は、奇蹟に頼らずともイエス様を受け入れる事が出来る事を教えるものであり、その意味で奇蹟は重要ではないのです。
サマリヤの人々は純粋に説教によってイエス・キリストを信じたのであり、今の私たちにつながる御言葉の宣教による伝道の初穂と言えるでしょう。
イエス様の寄り道は異邦人の救いのみならず、、弟子たちに大きな教訓を与える結果となりました。
快く受け入れてくれる人々とは長く一緒に過ごしたいものですが、他の人々にも伝道しなければならず、
【本論】
4:43 さて、二日の後、イエスはここを去って、ガリラヤへ行かれた。
一つの町に福音が伝わり、福音を受け入れた人々に見送られて、イエス様一行は当初の目的地であるガリラヤに向かわれます。
ガリラヤは地域の名前なので、特定の都市の名前ではありません。
ガリラヤ地方の何処に滞在したのか解かりませんが、故郷のナザレではなかったようです。
4:44 イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」と証言しておられたからである。
と記されているからです。
ナザレはガリラヤ地方の南端に位置する村なので、サマリヤから北に向って旅を続けていたイエス様一行はナザレを通過してガリラヤ地方の中心に向って行かれたと思われます。
イエス様が「自分の故郷」と言われる時、それは何時もガリラヤのナザレを指しています。
そして、この「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と言う格言もマタイ13章57節、マルコ6章4節、ルカ4章24節で引用されていますが、みなナザレでの出来事の中で語られた事として記録されています。
そこで、このヨハネの福音書4章44節が記し、指し示している「自分の故郷」も、ガリラヤのナザレの事と考えて問題ないでしょう。
45節でガリラヤの人々はイエス様を歓迎したけれど、ナザレの人は歓迎しなかったのです。
ナザレの村人がイエス様に対して好意的でない理由は、その出生にも関っています。
イエス様の出生の秘密、ガブリエルの御告げを知っているのはマリヤとヨセフだけであり、結婚前に身重になったマリヤの事を快く思っていない人は大勢いたのではないでしょうか。
イエス様の幼少の頃のエピソードを知っているのも極わずかの人々であって、イエス様と一緒に過ごし、大工として成長するまでをつぶさに知っているナザレの人々からは特別な歓迎を受けなかったし、突然、キリストだと宣言しても受け入れられないのが人情であり、感情だろうと思います。
そこで、ガリラヤ地方に来られても歓迎されない、否、拒絶されるナザレには立ち寄らず、ナザレを通り過ぎて行かれた、と言う事なのではないでしょうか。
4:45 そういうわけで、イエスがガリラヤに行かれたとき、ガリラヤ人はイエスを歓迎した。彼らも祭りに行っていたので、イエスが祭りの間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである。
ナザレの村の人々は歓迎しなかったかも知れませんが、ガリラヤ地方の人々はイエス様を歓迎したと言うのです。
それは、過ぎ越しの祭りで賑わっていたエルサレムにはあちらこちらから大勢の参拝客が集まって来ていましたが、その中にはガリラヤの住民も沢山詣でていて、イエス様のなされた事を目撃し、聞き及び、ガリラヤに戻って言い広めていたからなのでしょう。
過ぎ越しの祭りの最中に、2章13節の宮聖めの事件が起こる訳ですが、参拝客の多くはこの出来事を目撃しており、他にもイエス様のなされた事、語った事を聞き、
2章23節「イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。」のですが、この中にガリラヤの人々も含まれていたのでしょう。
更にはカナの結婚式で行われた第一のしるしも、ガリラヤ地方一帯に伝わっていた事でしょう。
ガリラヤの人々は挙ってイエス様を歓迎しますが、この歓迎はイエス様をキリストとして受け入れるものではなく、話題の人、不思議な事を行なう人という物珍しさから来た好奇心のなせる業だったようです。
奇蹟は人を引き付けますが、必ずしも信仰に導く訳ではないのです。
ガリラヤでは特に信じる人が起こされたとの記録もありません。
物珍しさで集まって来た人々は熱が冷めれば散っていきます。
きっと、ガリラヤでも奇跡を見せてくれ、しるしを行えと迫ったのではないでしょうか。
そんな物珍しさで集まり、信仰に至らなかった人々を後にして、
4:46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。
ガリラヤのカナとカペナウムは凡そ40km離れていますが、イエス様が来られたと言う噂はあっという間にカペナウムにも伝わり、一人の王室の役人の耳にも届きます。
この役人はガリラヤ地方を治めていたヘロデ・アンティパスに仕える宮廷官吏、高級官僚であったと思われます。
その地位に相応しい財力を持ち、病気の息子に充分な治療を受けさせていたのでしょうが、病気は回復に向かう事はなく、明日をも知れぬ状態になっていたのです。
4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。
宮廷官吏の父親は藁にも縋る思いで、自身で出向いて来てイエス様にお願いします。
直線距離で40kmですから、一日掛かりの道中です。
高級官僚が一介のユダヤ教教師に会いに行く、と言うのは異例の事だったでしょう。
それだけ切羽詰っていた訳ですが、その申し出に対してイエス様は素っ気無い返答を返します。
4:48 そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
ここでイエス様は王室の役人にだけ言われたたのではなく「あなたがた」と言って、
メシヤである事の証拠としての奇蹟を見たがるユダヤ人の一般的傾向をほのめかしておられます。
イエス様が行かれる所、何処ででも、奇跡のリクエストがあったのではないでしょうか。
それは信仰を基にしているのではなく、単なる好奇心、自己満足の欲求の現われです。
そして、奇跡を見たら信じるか、と言うとそうでもありません。
自分の目で実際に奇蹟が行われるのを見ても信じないのは、ユダヤ人に限った事ではなく、私たちにもそういった傾向があるのです。
「見たら信じる」…とても知的な理論的な応答ですが、信じるしかない事がこの世には多いのではないでしょうか。
「あなた方はしるしを求めるが、あなた方が軽蔑しているサマリヤ人は一つの奇蹟も見ないで私を世の救い主として信じたのだよ、キリストとして受け入れたのだよ。
エルサレムで、カナで見聞きした事を、あなた方はどう理解しているのかね。
あなた方の信仰はそんなにも小さいものなのかね」と言っておられるのではないでしょうか。
イエス様は王室の役人の心を見抜いておられ、そして、ニコデモとの会話や、サマリヤの女との会話でしたのと同じように、その信仰を試し、更に深い理解へと導こうとされますが、王室の役人はイエス様の仰った事を理解出来ずに、
4:49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
イエス様の語り掛けの真意を理解出来ないで、拒絶されたと思い、ひたすら同行をお願いし、息子の癒しをお願いする父親の姿が描かれていますが、イエス様だけが癒す事が出来る、その力を持っている、と信じている姿は私たちにも伝わってきます。
そんな父親の欠けだらけの小さな信仰ではありますが、イエス様は受け入れて下さり、
4:50 イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
一緒に来て下さる事を強く願い続けて来た王室の役人ですが、イエス様の言葉を信じて帰途につきます。
ここに記されているイエス様の驚くべき親切心、同情心は注目すべきです。
イエス様は役人の信仰の弱さ、理解力の乏しさを気にされず、役人の求めに応じて遅滞なく、息子の命と健康の回復を宣言して下さったのです。
また、イエス様の全能性にも注目すべきです。
イエス様が「あなたの息子は直っています」と語られただけで、40kmも離れたところにいる病人を、見もせず、触りもしないで言葉だけで癒されたのです。
更には、信仰の弱い役人が、イエス様の力に対して持った大胆な確信にこそ注目すべきです。
「あなたの息子は直っています」とイエス様が言われた時、役人はもはや何の質問も、疑問も口にする事はせず、これで万事が願った通りになると信じて帰途についたのです。
4:51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました。」と言った。
4:53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている。」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。
この出来事を通して、役人はイエス様が目の前に居ない者でも癒し得る事を知り、イエス様が只の預言者ではなく、生死をも支配する神様ご自身である事を確信したのではないでしょうか。
この役人はイエス様と出会った時、その信仰は信仰と言えない程に小さく、弱いものだった事でしょう。
しかし、イエス様の言葉を信じてカペナウムに戻って行く決断をした時、信仰が成長し、
僕と出会って、息子の病気が回復した事を知った時、信仰の確信に至ったのです。
信仰は地上に生きている限り、試され、更なる確信へと高められて行くものですが、この役人は僅かな期間で、信仰の発芽、成長、確信を体験し、この体験は役人個人に限定されず、その家族、癒された息子、役人の家で働く全ての者がキリストの信仰に入るきっかけになるのです。
4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤにはいられてから、またこのことを第二のしるしとして行なわれたのである。
奇蹟、しるしは、必要不可欠なものではありません。
信仰の確信に絶対的な力を持つものでもありませんが、時と場合によっては、神様は奇蹟、しるしをお用いになられて、人々を、異邦人を、救いに招き入れて下さるのです。
第一のしるし「水をぶどう酒」に変える奇蹟は、イエス様に従う弟子たちに対して必要な事として、また、神様が結婚の制度を如何に祝福しておられるかを教えるために用いられましたが、ここに「第二のしるしとして行なわれた」と記している出来事は、異邦人の役人とその家族、僕たちを救いに招き入れるためであり、サマリヤ人の信仰との比較で記されている事は明らかです。
しるしはユダヤ人の不信仰を際立たせています。
イエス様は多くのしるしを行われましたが、信じたのは異邦人の役人とその家族、僕たち、一部のユダヤ人だけでした。
サマリヤ人は一つの奇蹟も目撃していないのに信じ、ユダヤ人は多くの奇蹟を見ながらイエス様を拒絶し、排斥し、十字架にかけて抹殺したのです。
奇蹟やしるしは、信仰にとって毒にも薬にもなる代物なのです。
【適応】
私たちは信仰が小さく、弱い者です。
神様が永遠の命を与えて下さっているのに、この地上での僅かな時間の苦しみをも耐えることが出来ずに悲しみ、嘆き、不満を洩らします。
イエス様はそんな信仰の小さい、弱い私たちを見捨てる事なく、必要ならしるしを行われて、私たちの信仰を確かなものとして下さるのです。
だからと言って、不必要に奇蹟を求め、しるしを願うのが信仰者の姿ではありません。
イエス様がしるしを行われたのは、弟子たちに確信を持たせるためであり、役人の信仰の弱さをカバーするためであり、ユダヤ人の頑なな心に対する警鐘でもあるのです。
イエス様は「見ずに信じる者は幸いです」と仰いましたが、信仰は見ずに信じるのが基本です。
見たならば信じる信じないの問題ではなく、見た通りを受け入れるしかないからです。
そこで、見ても受け入れられない者は拒絶するしかなくなり、イエス様を十字架に付けて葬り去るしか道はなかったのです。
私たちの信仰は見ずに信じる信仰でしょうか。
信じていると言いながら、最初にしるしを求める信仰なのではないでしょうか。
第一のしるしと第二のしるしは関連性をもっています。
どちらもイエスの言葉を信じて従った時、必要が満たされ、願いが叶えられたのです。
しるしが先ではなく、信仰を持って行動したから、しるしを見る事が出来たのです。
イエス様を信じて水を汲まなければ、瓶の水がぶどう酒になる事はありません。
イエス様を信じて帰っていかなければ、息子の病気が癒される事はなかったのです。
しるしは結果であり、信仰を持って従った者だけがしるしである奇蹟を見る事が出来るのです。
その意味で、私たちも信仰を持って歩むならばしるしを見る事が出来るのであり、奇蹟を体験する事が出来るのです。
信仰を持って従う事が先決です。
あなたが信仰を持ってイエス様の言葉を信じ、従うなら、第三、第四のしるしを目撃する事になるでしょう。
しかし、しるしを求めて、それが実現してから信仰に入る、と考えているなら順番が逆です。
信じて従った者だけが、神様の栄光のしるしである奇跡を目撃し体験し、更なる信仰の確信に至る事が出来るのです。
しるしを求めたユダヤ人は信仰に入る事がなく、信じて従った役人の願いが叶えられ、言葉だけで受け入れたサマリヤ人が信仰者とされたのです。
しるし、それは信仰者のためのものではなく、未信者のためのものであり、不信仰な者の躓きであり、信仰の結果に与えられるご褒美のようなものなのです。
地上でしるしを見る事がなくても、イエス様の復活の事実が私たちに与えられたしるしであり、永遠の命の希望に繋がるものです。
信仰者にはイエス様の復活のしるしだけで充分なのであり、それ以上のものは不必要なのです。
信仰の確信が揺らいだ時、進むべき道で悩んだ時、しるしを願うのではなく、イエス様を見上げて一歩を踏み出して下さい。
結果は必ず、信仰を確信するものとなり、益をもたらすものとなるでしょう。
踏み出さなければしるしを見る事もないのです。
神様はあなたが従い、踏み出す事を待っておられます。
そして素晴らしい結果、しるしをあなたのために用意しておられるのです。
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聖書箇所:創世記10:21~32 2015-2-15礼拝
説教題:「ノアの息子、セムの歴史」
【導入】
ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテの歴史から、神様の人間に対する御こころが何かを、個々人に対する御こころ、即ち使命が何かを紐解いています。
聖書に家族や子孫、血縁が紹介される場面では、多くの場合、一般的な誕生順に、関係の深さ順に、簡潔に記し、詳細な紹介は、先に傍系となる人物から記し始め、主流となる人物、重要な人物は後に記す傾向があります。
ノアの三人の息子の紹介も、誕生順と思われるセム、ハム、ヤペテの順に紹介され、詳細な紹介は、聖書に特別な記録、働きの無い、傍系のヤペテの子孫から紹介が始まりますが、たった4節しか割かれていません。
続いて如何わしい人物であり、傍目には削除してしまいたい人物、隠しておきたい人物ハムの子孫の紹介を続けます。
傍系ではありながら稀有な人物であったニムロデを詳細に紹介し、ハムの子孫の紹介に、何と15節も割いています。
そして、アブラハム、ダビデ、救い主に続く血縁であるセムの子孫の紹介に続きますが、ここでは11節を割いて紹介しています。
10章だけを見て比較するならば、セムは大して重要ではないかの如くに思えましょうが、11章では17節も割いています。
10章でのセムの子孫の紹介と、11章でのセムの子孫の紹介の、相当の部分が重複していますが、重複してまでも紹介したい系図であり、聖書に記録し保存したい、後世に残したい思い、伝えたい願いを感じ取れるのではないでしょうか。
重要な系図であり、たとえ一部の記述が欠損しても、他の部分の記述で補える配慮なのではないでしょうか。
これらのことから、人名の羅列は、決して無機質な、機械的な記録の意味ではなく、神様の人間への熱い思い、関係性を持とうとの思い、霊的な繋がりを意味しているのです。
ヤペテの系図の記述に割かれた分量と、ハムの系図の記述に割かれた分量と、セムの系図の記述に割かれた分量との違いは、ヤペテの子孫の数と、ハムの子孫の数と、セムの子孫の数の違いは、決して神様の、人物への関心の度合いの違いや、期待の大きさの違いなのではありません。
違うモノを与えられる意味は、働きの違いであり、賜物の違い、使命の違いであり、神様は、同じモノを与えて、結果を比較されるお方ではなく、一人一人に違うモノを与え、プロセスと結果をご覧になられるのです。
今日はセムの歴史から、神様の御思いを紐解いて行きましょう。
【本論】
10:21 セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。
この21節は単純な、大した意味もなさそうな記述です。
「エベル」はセムの子孫アルパクシャデの子、シェラフの子であり、セムの曾孫以遠の存在であり、聖書の系図の記述の、暗黙のルールで考えるなら、ルールからちょっと逸脱しており、ここで記す必要性を感じられません。
21節はなくても、22節以降で充分なのではないでしょうか。
しかし「エベル」は「ヘブル」の語源の言葉であり、ヘブル人のルーツがここに始まる事を預言しているのであり、ここに記す大きな意味があるのです。
9章26節で「セム」はノアから祝福を受けますが、セムへの祝福がエベルに繋がる事を、即ちユダヤ人に繋がる事を預言しているのであり、また、セムへの祝福がヤペテに及ぶ事を宣言しているのです。
創世記の読者は、即ちユダヤ人は、この21節を特別な思いで読んだのではないでしょうか。
神様に呪われ大洪水に見舞われた人類であり、大洪水の災禍を逃れた選びの民は僅か四人であり、「風前の灯火」と表現されるような状況に置かれ、そのノアの子孫、三人の内の一人はカナンと共に呪われ、正に、絶滅寸前の状況に置かれながら、こんな悲惨な状況の中から、神様はセムに眼を止められ、ノアを通して選びを宣言され、祝福を与えられたのです。
セムは選びの子孫であり、選びの民「ユダヤ人」の祖とされた事が、ここに紹介されているのです。
人類の歴史の中で重要な、救いの歴史はセム、即ち「ユダヤ人」に委ねられたのであり、神様は「ユダヤ人」を中心に歴史を展開させて行かれるのです。
10:22 セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。
エラムはバビロン東方に移り住んだ人々の先祖と考えられています。
アシュルは創世記10章11節で、ハムの子孫やニムロデの子孫の移り住んだ地名として紹介されていますが、アッシリヤの地の事ではないか、と考えられています。
「アシュルに進出し」と記されていますので、アシュルが先に存在していた事を暗示させましょう。
個人の名前や氏族の名前は地名と渾然一体ですから、汗水流して開拓し、アシュルを建て上げながらも、ニムロデに征服され滅ぼされ、或いは、ニムロデと混交してしまったのかも知れません。
どちらにしても、アシュルは一民族としては残れなかったようです。
同じ事が「ルデ」にも言えるようです。
創世記10章13節に、ハムの子孫、ミツライムの子孫の一人に「ルデ」の名前が上げられていますが、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるように、「朱に交われば朱くなる」と言われるように、ハムの悪しき影響は、カナンのみならず、ミツライムに、ミツライムの子孫、ルデに引き継がれ、セムの子孫のルデもまた、駆逐されたか、混交されてしまい、一民族としては残れなかったようです。
アラムはパレスチナ北東部、シリアの地に移り住んだ人々の祖と考えられています。
そのアラムですが、
10:23 アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。
と、アラムの子孫四名の名前が記されていますが、何処に住んだか、何処で発展したか、詳細は明らかではありません。
22節に戻って、アルパクシャデですが、
10:24 アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。
と、記されています。
アルパクシャデもシェラフも、詳細は明らかではありませんが、エベルの登場でノアの歴史、系図は大きく変ります。
ここまでの子孫の記録は人口の増加と、各地に広がる事が中心でしたが、エベルの子孫からアブラハム、ダビデ、救い主に繋がる歴史、系図が始まるのです。
10:25 エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。
エベルには、ペレグとヨクタン、二人の兄弟が与えられます。
ペレグは「ペレツ」を語根とし、「ペレツ」の意味は「分ける」です。
ペレグの幼年なのか、中年なのか、晩年なのかは分かりませんが、「地が分けられた」のです。
この「地が分けられた」は創世記11章の、バベルの塔の事件の結果である言葉の混乱、その結果である、人々の分散、その結果としての縄張り争い、所有権の主張による「地の分割」ではなさそうです。
農耕が盛んになり、土地を分ける必要が生じた時期を現すとも、灌漑のために用水路が整備され、結果として土地が分割された時期を現すとも考えられています。
どちらにしても、自然に自生している物だけでは一族を養えなくなり、開墾の結果、農耕地の分割や用水路の整備が進んだ事を現しているようです。
そして、この「ペレグ」はアブラハム、ダビデ、救い主に繋がる先祖であり、その詳細な系図の紹介は創世記11章10節を待たなければなりません。
ペレグは重要な人物ではありますが、聖書はセオリー通り、簡潔な紹介に止め、聖書はもう一人の兄弟ヨクタンにスポットを当てて、子孫を紹介します。
10:26 ヨクタンは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、
10:27 ハドラム、ウザル、ディクラ、
10:28 オバル、アビマエル、シェバ、
10:29 オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。
ヨクタンには13人の子孫が与えられます。
名前を聞いても、日本人には「ピン」ときませんが、26節以降の人名は、その多くが「アラビア系」の名前だそうです。
シェレフはイエメンに移り住んだ人々の祖と考えられ、ハツァルマベテは南アラビアに移り住んだ人々の祖と考えられ、エラフは「月」の別名であり「月礼拝」をした人々の祖と考えられ、ハドラムはアラビア南部に移り住んだ人々の祖と考えられ、ウザルはイエメンに移り住んだ人々の祖と考えられ、ディクラは「ナツメヤシ」のアラビア名であり、ナツメヤシが自生していた地に移り住んだ、或いは移り住んだ地でナツメヤシ栽培に従事した人々の祖と考えられ、オフィルは南アラビア、もしくはアフリカ東岸に移り住んだ人々の祖と考えられます。
詳細が明らかでないのが、アルモダデ、オバル、アビマエル、ヨバブであり、シェバとハビラに付いては、クシュの子孫と同名であり、ハム、クシュとの深い関わりが考えられます。
先に申し上げた通り、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるように、「朱に交われば朱くなる」と言われるように、ハムの悪しき影響は、クシュに引き継がれ、セムの子孫のシェバとハビラもまた、駆逐されたか、混交されてしまい、一民族としては残らなかったようです。
10:30 彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。
ヨクタンの子孫の定住地、居住地、支配地の範囲を記しています。
メシャはアラビアの西の端を示し、東の端のセファルに及ぶ高原地帯までの広大な地をヨクタンの子孫は支配したのです。
10:31 以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。
セムの子孫の数は26であり、バビロン東方、パレスチナ北東部、シリア、そして30節に代表される地域に定住し、支配し、勢力を拡大して行ったのです。
10:32 以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。
ノアの子孫の数は70であり、その内訳は、何回かお話しした通り、セムが26、ハムが30、ヤペテが14であり、其々に使命が与えられ、賜物が与えられ、祝福が与えられました。
祝福は呪いの裏返しであり、32節は創世記9章18節、19節を受けての記述であり、そして全体の締め括りとなっています。
【適応】
今日のテキストの教えるところは、創世記9章26節、
「また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。」
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」」と、神様の祝福が注がれている、神様に守られている子孫、一族、氏族、部族であっても、「油断大敵」であり、初期の段階で、衰退し、消失し、或いは駆逐され、或いは吸収されてしまい、痕跡を残さない一族、氏族、部族がある事は珍しい事ではない、と言う事でしょう。
祝福されたセムであり、ヤペテですから、またヤペテはセムの庇護の下で、安心して生活し、セム、ヤペテ両部族には次々に子孫が生まれ、子孫の中でも、子孫を越えても相互に協力し、助け合い、立ち向かう者も無く、労苦や災いも無く、どんどん増え広がり、地を治め、地を支配して行った…と思いましょうし、預言通り、呪われたハムやカナンを従えて繁栄して行ったと思いましょう。
呪われたハムやカナンは子孫に恵まれず、子孫同士にも争いが絶えず、苦労や災いが後を絶たずに次ぎから次ぎへとやって来て、衰退、減少の一途を辿り、地を治め、地を従えるどころか、セムやヤペテに支配され、屈辱に甘んじなければならなかった…かと思いきや、ハムの子孫、クシュの子孫にニムロデが生まれ、広大な地を力、武力によって支配し、セムの子孫が苦労して開拓し、開墾し、広げていった地域の幾つかを乗っ取り、
セムの子孫を滅ぼし、もしくは併合し、吸収し、支配を広げて行ったのです。
別の視点で、セム、ハム、ヤペテの系図を見るならば、ヤペテの子孫の数は14。内1つの子孫の詳細は明らかではありませんでした。
ハムの子孫の数は30。内12の子孫の詳細が明らかではありませんでした。
今日紹介したセムの子孫の数は26。内12の子孫の詳細が明らかではありませんでした。
単純には比較できませんし、詳細が明らかでない事に、無理な意味付けをする事は避けなければなりませんが、神様が聖書に名前を記したからには、何かしらの期待があった事は間違いないでしょう。
少数であっても、多数であっても、弱くても、強くても、関係ありません。
少数で弱くても、神様に従うなら多数の強敵に立ち向かえるでしょうし、勝利する事も出来るでしょう。
しかし、神様に従わないなら、多数で強くても、少数の弱者に打ち負かされてしまうのではないでしょうか。
聖書に記されていながら、神様に期待されていながら、後世において、何の痕跡も残さないのは、悲しい事なのではないでしょうか。
セムは祝福を受けながら、12の子孫が散逸してしまった、跡形も無くなってしまったのです。
しかし、セムの子孫から、救い主が御生まれになったではないか…は言い訳にはなりません。
種を蒔いたなら、芽を出さない種があるのはし方がない事であり、別の種が育ってくれて、実ればいいや、が神様の御こころなのではありません。
100粒の種を蒔いたなら、100粒の種がそれぞれ成長し、ある種は30粒、ある種は50粒、ある種は100粒の実を実らせるのが、神様の願いなのではないでしょうか。
ある種は一粒の実しか実らせないかも知れませんが、枯れてしまうより、腐ってしまうより、そこで終わってしまうより良いのではないでしょうか。
企業での生産ラインは「歩留まり」を意識して創意工夫しています。
百万個作った。
10個の欠陥品が発生した、この程度はやむを得ない。
0.001%だから仕方がないし、企業努力の数値として申し分ない。
本当でしょうか。
この数値を維持しよう、で良いのでしょうか。
素材に問題があろうが、工程に問題があろうが、管理に問題があろうが、チェックに問題があろうが、輸送に問題があろうが、保管に問題があろうが、外部要因だろうが、問題があるのであり、問題を放置しておいたなら、0.001%の歩留まりが、突然1%に跳ね上がらない保証は無いのです。
1%は、企業の命運を決定するでしょう。
そうなってからでは遅いのであり、常に、問題がある事を、問題が起こり得る事を意識した企業活動が、問題を解決する努力が、問題を想定した予知と、危機管理が重要になるのです。
神様の御こころは、単純にセムとヤペテの子孫が繁栄する事、呪われたハムとカナンが衰退する事…ではありません。
善が繁栄し、悪が滅びる事ではないのです。
セムにもヤペテにも罪の性質は引き継がれており、内在しているのです。
罪の存在に気がつかなければならず、罪の存在を意識し、罪を嫌い、罪と戦い続けなければならないのです。
ハムとカナンにも善の性質、即ち、神様を恐れ、神様を愛する性質は引き継がれており、育てなければならず、神様の導きに従わなければならないのです。
罪の意識化と、罪と戦う生き方、神様を愛し、神様に従う決意を持続させる事、継続する事が重要、必要なのです。
セムとヤペテ、ハムとカナン、其々の子孫が、一つとして衰退し、滅びる事は、神様の御心ではありません。
セムとヤペテ、ハムとカナン、其々の子孫の全てが繁栄し、増え広がる事が神様の願いなのです。
教会に集い、礼拝を献げ、讃美を献げ、祈りを献げ、お金を献げ、奉仕をし、祝福を受けても、習慣であるなら、心が伴わないならば、別の言い方をするなら、信仰が伴わないならば、見せ掛けだけの信仰であるならば、祝福は逃げていくでしょうし、何時の間にか呪いに入れ替わってしまうのではないでしょうか。
呪いを受けても、悔い改めて、罪からの脱出を願い続けるならば、罪は小さくなり、祝福に入れ替わるのではないでしょうか。
「始め良ければ終わり良し」でも「始め悪ければ終り悪し」でもないのです。
罪と戦い続ける時、罪は小さくなり、祝福は留まり続け、更に祝福を呼び込むでしょう。
しかし、祝福に甘んじて、罪を始末せず、変な共存を図るなら、呪いは着実に迫ってくるのです。
祝福の中に置かれている事に安心する事なく、罪の誘惑の巧妙さ、執念深さを甘く見る事なく、悔い改めて、神様の愛と祝福を子々孫々に引き継ぐ歩みでありたいと願う者です。
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聖書箇所:創世記10:6~20 2015-2-8礼拝
説教題:「ノアの息子、ハムの歴史」
【導入】
ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテの歴史から、神様の人間に対する御こころが何かを、個々人に対する御こころが何かを確認していますが、聖書に記されている人名の羅列、地名の羅列には、意味がある事を教えられました。
意味のない人物はなく、意味のない土地も存在しないのであり、この世的には、偉大な働きもなく、世界に貢献するような働きもなく、誰も評価しないような生涯でも、神様は働きではなく、個々人としての存在を大切にしてくださり、覚えていてくださる事、しかも、個々人を特定して、一人一人を掛け替えのない存在として見ていて下さるのであり、
何も育たず見捨てられたような土地でも、何の取り柄もないような寂れた土地でも、そもそもは神様が造られた地球であり、山であり、谷であり、平地であり、海であり、湖であり、川であり、素晴らしい作品群であり、人間も、土地も、そして動物も植物も、不要なものも、無駄なものも、邪魔なものも、何一つ存在しないのです。
人間の罪の影響で、動植物にも、土地にも、自然にも悪しき影響が出ていますが、本来、全てが良いものであり、良い影響を与え合い、益々良くなって行く存在だったのです。
動植物の生息に適さない土地はなく、土地には動植物を育む使命があったのであり、どの土地も有用であったのです。
人間の罪により、動植物も、土地も、悪しき影響を受け、悪しき部分を生じさせてしまいましたが、人間の正しい介入により、動植物も、土地も、本来の秩序に近づく事が、秩序を取り戻す事が出来るのであり、その大切な働きが、人間に委ねられている事を、聖書は記録し、証言しているのです。
アダムとエバから始まった人間の歴史、人口の増加は、大洪水によって終わり、大洪水の後、ノアとセム、ハム、ヤペテの家族から始まった人間の歴史、人口増加は現代に至り、63億を数えるまでになっています。
この63億の人間一人一人に神様は使命を与え、罪の世界が秩序を取り戻し、神様の栄光を現すように願っておられるのです。
ヤペテの歴史である人名の羅列が、ハムの歴史である人名の羅列が、セムの歴史である人名の羅列が教える事は、基本的には同じであり、神様の関心が個々人に注がれている事、
神様が個々人を愛している事、個々人が其々、神様の救いの計画に入れられており、決して見捨てられる事はない事を、教えています。
しかし、全く同じではなく、ヤペテの歴史から教えんとする事と、ハムの歴史から教えんとする事と、セムの歴史から教えんとする事とは少しずつ違うのです。
今日はハムの歴史から、神様の御思いを紐解いて行きましょう。
【本論】
10:6 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
ノアに呪われたハムとカナンですが、呪われた家系でも神様は蔑ろにはなさいません。
神様は、ハムの子孫であると言う理由で無視したり、兄弟の全てを、カナンと十把一絡げに扱われはしません。
悪い部分も見られるけれど、良い部分も見て、ちゃんと評価してくださるのです。
諺に「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」と申しますが、神様は関連しているからと言う理由で、「駄目な一族」と言うレッテルを貼られはしません。
ハムの性癖、カナンの性癖はおぞましいモノであり、呪われるモノでしたが、ハムはハム、カナンはカナン。
クシュはクシュであり、ミツライムはミツライムであり、そして、プテはプテなのです。
ハムやカナンの淫らな行ないやおぞましい性癖で、クシュやミツライム、プテが呪われる事はなく、蔑ろに扱われる事もないのです。
自分自身の行ないで評価され、時に呪われ、時に祝福を受けるのです。
ハムの4人の子孫の名前が記されていますが、息子かも知れませんし、孫かも知れません。
各々について確認して行きましょう。
クシュは、エチオピア、現スーダンを含む辺りに移り住んだ人々の祖と考えられています。
「クシュ」と言う名前は、旧約聖書のみに50回出てきますが、モーセの妻がクシュ人であり、以降、サムエル記にも歴代誌にも、イザヤ書やエレミヤ書などにもクシュ人が登場し、記録されています。
特別重要な働きをした訳ではありませんが、深い関わりを持ちつづける民族なのです。
ミツライムは、エジプトに移り住んだ人々の祖と考えられています。
プテは、東アフリカから南アラビヤ、現リビヤ辺りに移り住んだ人々の祖と考えられています。
カナンは、パレスチナの地中海沿岸に移り住んだ人々の祖と考えられています。
10:7 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。
クシュの子孫の名前が7名挙げられていますが、何処に住んだか、何を成したか、詳細は明らかではありません。
しかし、特筆すべき人物が登場します。
それは「ニムロデ」です。
10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
10:9 彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。
ニムロデの紹介と、ニムロデの支配地が、ニムロデが建て上げた都市の名前が記されています。
勿論、ニムロデ一人の働きではなく、ニムロデを代表とする一族が支配し、建て上げたのでしょうが、ニムロデが突出した人物であった事は、8節の紹介文から明らかです。
先ず、「ニムロデ」のヘブル語の意味ですが、「我々は逆らおう」です。
何に逆らうのかというならば、「神に敵対して」と読み込むのは、聖書は何の資料も提供していませんから、ちょっと無理がありましょう。
「神の敵に対して」と読むのも、同様であり、また、好意的過ぎる読み方でしょう。
狭義に考えて、「兄弟、一族」に対してなのではないでしょうか。
「兄弟は他人の始まり」と申しますし、近しいほど、時に問題も拗れるのではないでしょうか。
好意的に読むならば、父ハムや、兄弟カナンに対抗しての意味であったかも知れません。
ハムやカナンが、ノアに呪われた事は周知の事実です。
そんな人たちに関わっていては、呪いを引きうける事になるのは当然の帰結でしょう。
ハムやカナンの影響を受けないために、呪いを受けないために、逆に、神様から祝福を受けるために、危うきには近づかないのが懸命な判断です。
また、広義に考えて、「回りの人々」であったかも知れません。
親戚付き合いは、時に煩わしい事もあるでしょう。
面倒を見なければならず、世話をしなければならず、尻拭いをしなければならない事もあるでしょう。
多くは、お世話になり、お世話をする「お互い様」なのでしょうが、独立心の強い、他の干渉を嫌う傾向の強い人は、距離を置いた関係を保とうとするでしょうし、否、対等、平等な関係よりも、支配する事を望むのではないでしょうか。
ニムロデもご多分に漏れず、「地上で最初の権力者となった」のです。
「地上で最初の」は、勿論「洪水後の世界で」の意味であり、「権力者」は、勇士と同じ言葉が使われており、勇猛果敢で、大胆な行動を躊躇なく取り、名を成す者であり、政治的な権力者、支配者、王、征服者を意味しています。
10節に「主のおかげで」と記されていますが、
神様が積極的にニムロデに肩入れし、支援したお陰で「地上で最初の権力者となった」「力ある猟師になった」のではなさそうです。
「主のおかげで」は「主の前で」の意味であり、呪われた親族の中でも、そんな親族と距離を置き、交わって朱くなる事を避け、常に「神様」を意識した生き方を貫くなら、呪いではなく、祝福を受け、権力者、支配者、王、力ある猟師、となる可能性を教えているのではないでしょうか。
この「力ある猟師」との表現ですが、単なる猟の達人、英雄的猟師ではなく、王侯支配者は、その勇猛果敢な勇姿の象徴として狩猟を嗜(たしな)んだそうであり、
権力者である事を、支配者である事を、王である事を、征服者である事を表現しているのです。
力を誇示するために、狩猟をしたのです。
ニムロデは「主の前で」生きたために、神様から祝福を注がれ「地上で最初の権力者となった」「力ある猟師になった」訳ですが、
一代限り、しかも、かなり限定的な働きであり、「驕れる者、久しからず」の言葉の通り、ニムロデはこの後、活躍する事は無く、聖書に登場しないのです。
それでも、
10:10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。
10:11 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、
10:12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
と、記されます。
私たちにお馴染みの「バベル」「ニネベ」が登場しますが、その始まりはニムロデが建て上げたのであり、
「ニネベ」は繁栄し続け、首都、アッシリヤの中心地となるまでに発展したのです。
10:13 ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、
ルデ人は、小アジア、現トルコ辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、アナミム人は、北アフリカ辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、レハビム人は、北アフリカの地中海沿岸辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、ナフトヒム人は、エジプト北部辺りに移り住んだ人々の祖と考えられています。
10:14 パテロス人、カスルヒム人・・これからペリシテ人が出た・・、カフトル人を生んだ。
パテロス人は、エジプト南部の山岳地方辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、カスルヒム人は、エジプトとカナンの間の地中海岸辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、カフトル人は、クレタ島に移り住んだ人々の祖と考えられています。
そして重要なのは、呪われたカナンの歴史、系図も記されている事です。
10:15 カナンは長子シドン、ヘテ、
シドンも、ヘテも、個人名ではなく、シドン人、ヘテ人の意味の言葉が使われており、その意味で理解しなければなりません。
10:16 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、
エブス人は、エルサレム辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、エモリ人は、ヨルダン両岸の山地地方辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、ギルガシ人は、カナン辺りに移り住んだ人々の祖と考えられています。
10:17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、
に付いては、詳細不明であり、
10:18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。
アルワデ人は、フェニキヤ北部の海岸沿いの小島辺りに移り住んだ人々の祖と考えられ、
ツェマリ人に付いての詳細は明らかではありません。
ハマテ人は、パレスチナ北隅辺りに移り住んだ人々の祖と考えられています。
ヤペテの歴史、系図の中でも説明しましたが、ハムの歴史、系図も、セムの歴史、系図も、検証する術がなく、伝承の域を出ませんが、呪われた一族も、恥ずべき一族も、なかった事、居なかった事にするのではなく、申し訳程度に記すのでもなく、ちゃんと記録されている事に注目しなければなりません。
どんな人にも、氏族にも、部族にも、神様の眼が注がれており、憐れみを受けるチャンスがある事を証しし、記録しているのです。
以上、ハムの氏族の数は30なのですが、ヤペテの氏族の数は14であり、セムの氏族の数は26であり、呪われていながら、30もの氏族が与えられた事は、記録されている事は驚くべき事なのではないでしょうか。
見るからに衰退が予想されるような歴史、系図なのではなく、呪われた者にも、より多くのチャンスが与えられるのです。
10:19 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。
10:20 以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。
ハムの子孫は、広大な地を支配するようになります。
単に広いだけでなく、特にカナンの地は「乳と蜜の流れる地」と表現される肥沃な地であり、交通の要衝であり、鉄の戦車を持ち、圧倒的な軍事力を持つ民族へと発展するのです。
しかし、「ソドム、ゴモラ」は神の手によって壊滅されるのであり、他の地はイスラエルによって破壊されるのです。
先にハムの子孫の数は30、と申し上げましたが、その内訳は、クシュ一族:9、ミツライム一族:8、プテ一族:1カナン一族:12、であり、呪われたカナンが、自身を含めて12の氏族として繁栄したのです。
この氏族の数字が、そのまま祝福を約束するものでも、祝福の大きさでもありませんが、
呪われたハムに30の氏族と、それに伴う祝福が、呪われたカナンに12の氏族と、それに伴う祝福が与えられた事には、大きな意味があるのではないでしょうか。
神様の報いは、因果応報ではないのです。
先に大きな祝福を与えつつ、悔い改めを待つってくださるのです。
【適応】
今日のテキストの教えるところは、呪いは、或いは祝福は、固定的で断定的、不変なモノではない事、一族郎党に終生纏わり付き、拭い得ない、離れないモノではない事を教え、
更に付け加えるなら、罪を犯して呪われた者でも、相応しからぬ行動ゆえに呪われた者であっても、即刻滅ぼされる事も、呪いだけが止めど無く降りかかるのでもない事です。
カナンはノアに呪われました。
創世記
「9:25 「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。」」
直接に呪われたのはカナンですが、それはハムをも含む呪いの宣言です。
しかし、ハムには兄弟で一番多く、氏族となる子孫が与えられたのであり、その数30です。
その30の子孫には、広大な支配地が与えられたのであり、ニムロデのような稀有な人物が起された、と言う事です。
直接に呪いの言葉を受けたカナンですが、カナンには11の氏族が与えられ、一時は栄華を極め得たのです。
家族の罪、汚れ、失敗、失態は喜ばしい事ではありませんし、本人の罪、汚れ、失敗、失態も無いに越した事はありませんが、あっても絶望する必要はありませんし、諦める必要もありません。
神様はどんな罪も、汚れも、失敗、失態も、不問に付しはしませんが、回復のチャンス、やり直しのチャンスは必ず与えてくださいます。
エゼキエル書
「18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。・・神である主の御告げ。・・彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」
「18:30 それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。・・神である主の御告げ。・・悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。」
「18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。・・神である主の御告げ。・・だから、悔い改めて、生きよ。」なのです。
神様はハムにも、カナンにも、誰にも「悔い改めて、生きること」を願い、裁きを先延ばしにし、チャンスを与えてくださるのです。
しかも、細々と生き長らえるのがやっと、な状態に置かれるのではなく、凝らしめる限り懲らしめて、反省を促すのでもなく、多くの子孫が与えられ、有能な子孫が与えられ、力を持つ子孫が与えられ、発展し繁栄し、広がり、多くの地域を支配するようになるのです。
一年二年の猶予しか与えられないのではなく、数代に渡る猶予が与えられるのです。
一族を纏める指導者が与えられ、一族の悔い改めのチャンスが与えられるのです。
呪われたからと言って諦める必要はありません。
呪われたからと言ってがっかりする必要もありません。
悔い改めるまで不幸が続くのでもなければ、苦難が起こるのでもありません。
カインが呪いを受けつつも、多く子孫が与えられ、広大な地を支配したように、呪われつつも、祝福も受けるのです。
しかし、祝福に甘んじ、悔い改めを先延ばしにするなら、呪いは着実に迫ってくるでしょう。
呪いは追い付き、呪いは現実となるでしょう。
栄華を極めた、難攻不落を誇ったニネベは跡形も無く滅ぼされたのです。
呪われた者にも注がれる神様の愛と祝福の大きさ、忍耐の深さを覚えつつ、悔い改めを先延ばしにせず、神様の愛と祝福を子々孫々に引き継ぐ歩みでありたいと願う者です。
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聖書箇所:創世記10:1~5 2015-2-1礼拝
説教題:「ノアの息子、ヤペテの歴史」
【導入】
聖書には各書に人物の名前や、土地の名前が列記されています。
創世記ではアダムから始まる子孫の名前、ノアから始まる子孫の名前、アブラハムから始まる子孫の名前や、サムエル記以降ではサウル王の子孫の名前や、ダビデ王の子孫の名前が延々と綴られ、ヨシュア記以降では、ユダヤ民族は約束の地カナンに入り、12部族に土地が与えられますが、土地の分割に際して、見ず知らずの土地の名前が、現代では特定できない土地の名前が延々と綴られています。
馴染みのない、しかも似たような名前が、発声し難い名前がこれでもか、と続きます。
それでも、何かの伏線になっているとか、布石になっているとか、後々重要な意味を持って再登場するとか、何度も登場するなら、列記する意味もありましょうが、一度切りで、二度と出て来ない名前や、本流とは全く関わらない、関係のない名前が延々と綴られているのは無駄とさえ思えます。
「その他」で片付きそうな、そうしても殆ど問題なさそうな名前が殆どです。
重要な人物や土地の名前だけを記しておいた方が、読む方にとってはありがたいし便利なのではないでしょうか。
この人は覚えておいた方がいいよ、この土地は重要だよ。
何か、テストの傾向と対策みたいですが、ドラマでも映画でも小説でも、関係のある人物や土地だけがクローズアップされるのですから、聖書もそうあっても問題ないでしょう。
他にも、レビ記、申命記等に記されている律法に関する記述は、もっと簡潔に、もっと分かり易く纏められるのではないかと思います。
そうであれば、聖書通読も苦ではなくなり、眠くもならないでしょうから、興味深く読み進める事が出来、途中で挫折せずに、最後まで読む事が出来るでしょう。
しかし、それは人間的な判断であり、現代に読む私たちには馴染みの薄い、関係性のない人物や土地の名前でも、当時の人たちにとっては強く濃い絆の人物の名前であり、リアルに思い浮かべる事の出来た土地の名前なのです。
更に、神様のお考えは違います。
聖書は「神の霊感」によって記された書物であり、一度切りだから、重要でないから、関係ないから、関係が薄いから、記さない、割愛するのではありません。
神様は人々に覚えられないような、忘れられてしまうような一人一人が重要であり、荒れ果てて、見捨てられてしまうような土地が大切なのであり、意味の無い人物も土地も存在しないのです。
今日は神様の人物に対する御思いを紐解いて行きましょう。
【本論】
10:1 これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。
アダムから始まった人類の歴史は、或いは人口の増加は、大洪水によって終止符が打たれ、一度全滅し、生き残ったのは箱舟に入った者たちだけとなり、「ノアの息子、セム、ハム、ヤペテ」と、其々の妻たちの、合計8人によって新たな人類の歴史が、人口の増加が始められましたが、その事が10章1節で宣言されているのです。
アダムとエバとの、一組の夫婦で始められた人口の増加に比べれば、4組の夫婦で始めたのですから、人口の増加は目を見張るものだったろう、と思いましょうが、子が生まれるのは、自然の摂理ではありません。
創世記9章1節で「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」と神様が仰せになられ、
9章7節で「あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ」と神様が仰せになられたので「彼らに子どもが生まれた」のです。
神様が命じられたので、許されたので生まれた、のであり、神様の主権で生まれさせ、また、生まれさせないのです。
旧約聖書の時代には、子が生まれる事は神様の祝福の現れであり、子が生まれないのは神様の呪いの現れ、と考えられていましたし、寿命の長短が、祝福と呪い、と考えられ、財産の多少が、祝福と呪い、と考えられていましたが、子沢山が、寿命の長い事が、財産を多く与えられた事が祝福なのではなく、子が与えられない事が、寿命が短い事が、財産が少ない事が呪いなのでは決してありません。
人の誕生、成長、死の全てが、働きの実、即ち財産の全てが、神様の主権のみによるのであり、神様の栄光を現す事に繋がらなければならず、一人一人に神様のご計画があり、ある人は子を産み育て成長させる生涯で神様に仕え、自分自身も成長しながら、神様の栄光を現し、ある人は子を産まない生涯で神様に仕え、自分自身を成長させ、神様の栄光を現すのです。
短くても神様に仕えての、充実した生涯こそ誇るべきであり、神様に敵対した生涯は、怠惰な長寿は恥ずべきであり、財産を多く持っても、争いが絶えないならば、平安は無く、
何も施しをせず、貯め込むだけであるなら、財産が害をなすに至るのであり、貧しくても仲良く暮すなら、貧しい中から精一杯献げ、施すなら天に宝を積む事であり、神様の祝福を受けるでしょう。
セムとハム、ヤペテの歴史ですが、聖書は、重要な順に記述するのではなく、傍系に付いて先に、簡単に記述し、重要な事柄に付いては後から、詳細に記述する、と言うスタイルが殆どです。
セム、ハム、ヤペテに付いては、ヤペテ、ハム、セムの順に記述されていますから、不肖の息子ハムよりも、ヤペテの方が、下位であり、セムが一番重要な地位にある事を示しています。
では、今日はヤペテの歴史について確認して行きましょう。
10:2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。
ヤペテには7人の子孫が与えられましたが、2節に記述されている名前の全てが「子」なのではありません。
「子孫」と訳されるヘブル語は「ベン」で、この「ベン」には「子、息子、孫、メンバー」等の意味がありますから、子かもしれないし、孫かもしれません。
曾孫かもしれませんし、一族、血族の意味かもしれません。
また、これがヤペテの全ての子孫、全員ではない事も、生まれた順番でない事も押さえておかなければならないでしょう。
先に申し上げたように、聖書は、関係の薄い人物も、一度限りの土地の名も記しますが、
漏れなく網羅、羅列する訳でもないのです。
年齢の順で記す訳でもなく、重要度に応じて記す訳でもないのです。
聖書は「神の霊感」によって記されているので、神様が記したい人を記しており、神様が不用と判断されれば、聖書には記されません。
順番についても然りです。
人間は、その善し悪しをとやかく言う事は出来ません。
イエス様の系図がマタイの福音書にもルカの福音書にも記載されていますが、全く同じではありません。
取捨選択がなされていますが、人間のミスや作為ではなく、神様の主権で、其々の記者が記したのであり、3節に記されているゴメルの子孫も、4節に記されているヤワンの子孫も、息子かもしれませんし、孫かもしれませんし、曾孫かもしれないのです。
他にも居たかも知れませんが、記されていないのかも知れません。
早く亡くなったために記されていないのかもしれませんし、何の働きもしなかったために記されていないのかもしれません。
理由は、神様のみぞ知る、です。
さて、本論に戻って、2節に記された人々は、伝承によれば、ゴメルは、黒海北部に移り住んだ民族の祖と、マゴグは、北の果てに移り住んだスクテヤ人の祖と、マダイは、アッシリヤ東方に移り住んだメディヤ人の祖と、ヤワンは、古ギリシャに移り住んだイオニア人の祖と、トバルは、小アジア東部に移り住んだ人々の祖と、メシェクは、黒海沿岸に移り住んだ人々の祖と、ティラスは、南西部、古代イタリヤに移り住んだエルトリア人の祖と、目されています。
10:3 ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。
アシュケナズは、ドイツ地方に移り住んだスキタイ人の祖と、リファテに付いては詳細不明であり、トガルマは、カランとカルケミシュを結ぶ道の北側に移り住んだ人々の祖と、目され、
10:4 ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。
エリシャは、キプロスに移り住んだ人々の祖と、タルシシュは、スペイン南部に移り住んだ人々の祖と、キティム人は、キプロス東海岸に移り住んだ人々の祖と、ドダニム人は、ロード島に移り住んだ人々の祖と、目されています。
その氏族の数は14です。
しかし、現代、その真偽を確かめる方法はありませんし、真偽を確かめても、大した意味はありません。
ヤペテの子孫、ハムの子孫、セムの子孫が、其々、現代の人種にどう繋がっているかを詮索しても意味はありません。
人類学的には、研究の対象になり、それなりに意味はありましょうし、学術的研究や、その成果を否定する気持ちはありませんが、真偽よりも重要なのは、一人一人の名前が列記されている事であり、それは、神様に覚えられている事なのです。
この系図から、歴史から、神様との関係を見出し、神様との繋がりを知る事が重要なのです。
この後、6節から20節にハムの子孫の名前が列記されていますが、ハムの氏族の数は30であり、21節から31節にセムの子孫の名前が列記されていますが、セムの氏族の数は26であり、ヤペテの氏族の数14と合わせると、合計70で、完全数となっています。
この合計数もまた恣意的であり、操作された数でしょうが、神様の自然再生のご計画に従事する人間について、人類再建、人口増加のご計画について、この70人で始めるのが、神様のご計画通りである事、過不足が無い事を表し、神様の眼が見つめている、神様が注目している事を表しているのです。
これら70の氏族から、世界の民族が分かれたのですが、まだ、バベルの事件の前の記録であり、分散前の状況下での記録なのです。
10:5 これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。
10節で以上を纏めて、エーゲ海、カスピ海、地中海の北方に分布した諸民族がヤペテの子孫から分かれ出た事が証言、宣言されているのです。
淡々と名前が記されているだけであり、特筆すべき働きも、功績も記されてはいませんが、だからと言って何も働きが無かった訳でも、功績を残さなかった訳でもありません。
其々の歴史の中で、何かしらかの働きがあり、功績を残したでしょう。
しかし、聖書は個人的な記録の書ではありません。
或いは人類の歴史を網羅した書物でもありません。
神様の霊感によって記された特別な書物であり、神様の裁きと救いに付いて記された書物であり、裁きと救いに焦点が当てられて記されているのであり、裁きと救い以外の記録は、簡潔に、時に端折ってしまっているのです。
【適応】
今日のテキストの教えるところは、ヤペテの氏族の詳細な記録にあるのではありません。
今日のテキストの教えるところは、広大無辺な人類の歴史の中から、ノアが選ばれ、ノアの息子の、セムの子孫が救い主の誕生につながりますが、傍系の一人一人にも神様の眼が注がれている事を教えている事です。
世界には約63億の人間が生きていますが、世界に知られるような顕著な働きをする人は、世界に貢献するような稀有な働きをする人は、功績を残す人は僅かです。
世界に研究者は何万人といらっしゃるでしょうが、成果が認められ、ノーベル賞などを受賞する人は僅かなのです。
世界に作家は何万人といらっしゃるでしょうが、成果が認められ、ノーベル賞などを受賞する人は僅かなのです。
世界に平和を愛し、平和の実現のために働いている人は何万人といらっしゃるでしょうが、成果が認められ、ノーベル賞などを受賞する人は僅かなのです。
否、何一つ有益な働きの無い、平々凡々に生きた人々が殆どでしょうが、
イザや書43章4節
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」なのです。
神様の眼に、あなたは高価で尊い存在として映っているのであり、行いにもよらず、成果にもよらず、大切な、掛け替えのない存在なのです。
神様の手元には、命の書があり、名前が記されていますが、そこに記される規準は、行ないや成果ではありません。
失敗や醜態で削られるのでもありません。
神様に愛されている者の名前が記されているのであり、神様を愛する者の名前が記されているのであり、イエス様の十字架の贖いを信じ、告白した者の名前が記されているのです。
ところで、同姓同名の人って、世の中に何人いらっしゃるのでしょうか。
例えば、「イエス」と言う名前ですが、聖書には何人かのイエスが登場するのであり、ユダヤ人の中では一般的な名前であり、救い主を特定できませんが、「ダビデの家系のヨセフ」と「そのいいなずけのマリア」の息子のイエスであるなら確実に特定できるでしょう。
ノアの息子、孫、子孫は大勢居ても、ノアの息子ヤペテ、ヤペテの息子ゴメル、ゴメルの息子アシュケナズ、となると一人に特定できるのではないでしょうか。
今日のテキストの系図、歴史は、単に人名の羅列ではなく、人物を特定する系図、歴史であり、それは、神様の個々人に対する関心の深さ、強さ、大きさを現していましょう。
神様は全体も関心の対象ですが、個々人に深い関心を持たれるのです。
セムを選び、セムの子孫、ダビデの家系に救い主を生まれさせられました。
しかし、セム以外に関心がなかった訳ではなく、ヤペテの子孫一人一人に、ハムの子孫一人一人に、全人類の一人一人に関心を寄せておられるのです。
それが、今日のテキストに記されている個々人の名前に現されているのです。
個々人を特定する理由は、救いは個々人の問題であり、一族郎党、十把一絡げで救うのではなく、一人一人の信仰によって救うからなのです。
それは、救いの確かさに繋がります。
神様に覚えられる働きをした、篤い信仰の持ち主であった先祖や親、兄弟、子や子孫の系図に属しているから救われるのではなく、また、神様に呪われた先祖や親、兄弟、子や子孫の系図に属しているから亡びるのでもないのです。
父母には其々父母がいて、その父母にも父母がいるのですから、先祖の数は膨大です。
その先祖は、皆が皆、信仰者で、良い働きをした訳でもなく、皆が皆、不信仰で、罪人だった訳でもありません。
もしも、先祖や、親の信仰で、働きで、救われる、滅ぼされるが決まるとしたら、
どの先祖の働き、生き様で救われるのか、どの先祖の罪で滅ぼされるのか、分かりませんから、不安であり、如何に不条理な事か、かは説明するまでもない事でしょう。
しかし、個々人の生き様で決まるなら、確実です。
個々人の問題とは言え、回りに影響を与えるのですから、その責任は重大です。
ヤペテの働きは、祝福を受けましたが、だからと言って、ヤペテの子孫が皆、祝福を受ける訳ではないのです。
ハムとカナンは呪われましたが、その氏族全部が呪われた訳ではないのです。
ノアはノア自身の生き様で、セムはセム自身の生き様で、ハムはハム自身の生き様で、ヤペテはヤペテ自身の生き様で、ゴメルはゴメル自身の生き様で、マゴグはマゴグ自身の生き様で、マダイはマダイ自身の生き様で、ヤワンはヤワン自身の生き様で、トバルはトバル自身の生き様で、メシェクはメシェク自身の生き様で、ティラスはティラス自身の生き様で、神様のお取り扱いを受け、祝福を受けるか、救われるか、が決まり、呪われるか、滅びるか、が決まるのです。
一人一人の信仰がその人を救うのです。
ここにおられる皆様の信仰が、皆様自身を救い、回りの人の救いに益する信仰の歩みであるようにと願うものです。
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