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聖書個所:ヨハネの福音書5:19                  2015-3-29礼拝

説教題:「良くなりたいか?」

【導入】病気、苦しみ、悲しみ、人には其々、大なり小なり悩み苦しみがあります。

そして、耐え難い状況、環境から、一刻も早く逃れたい、改善して欲しいと願いますが、中々思った通り、願った通りにならないのが、この世の常かも知れません。

不本意にも困難な状況に置かれてしまい、逃れたいと思っている本人にも、何時しか諦めの思いが心を占めるようになり、周りの人も早く諦めるように、その状況を受け入れるように、と諭します。

何時までも諦めないでいると、自分自身も苦しいですし、他の事を考える余裕もなくなりますから、ある程度で諦める。

諦めが肝心。

それが処世術、この世で生きる知恵と言うものかも知れません。

でも、本当に諦め切れるものなのでしょうか。

諦められるのは、本当に必要でなく、願っていたものではなかったからで、本当に必要なもの、なくてはならないものは諦められないのではないでしょうか。

以前のお話しに登場した王室の役人は、病気の息子を抱えていましたが、直らなく元々、直ったら儲けもの、と思ってイエス様の下に来たのでしょうか。

そうではないでしょう。

直してもらいたい、絶対直してもらうのだと、必死の思いで、王室の役人と言う重要な職務を放り出し、自ら出向いて40kmの旅をし、イエス様から冷たく突き放されたような言葉をかけられながらも、縋りつき、願い続けたからこそ、願いの通りに病気で死にそうな状態にあった愛する息子を癒してもらう事が出来たのです。

諦めが肝心なのではなくて、信じて願い続ける事が肝心なのです。

妥協するのではなくて、願いが叶うまで粘り続ける事が大切なのです。

今日の聖書のテキストの箇所にも病人が登場します。

以前のお話しでは病人の親が登場しましたが、今回は病気の本人が登場し、イエス様と言葉を交わします。

【本論】5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。

パリサイ人との衝突を避けて、ユダヤからガリラヤに下られたイエス様ですが、途中サマリヤ人の住む町に立ち寄り、積極的に福音を宣べ伝え、ガリラヤに着いてからはカナで第二のしるしを行われました。

それらの出来事の後に、イエス様は再びユダヤに戻られ、エルサレムに上られました。

その理由を聖書は「ユダヤ人の祭りがあって」と記しています。

「ユダヤ人の祭り」とは3大祭りの、過ぎ越しの祭り七週の祭り仮庵の祭りを先ず思い浮かべますが、他にも、プリムの祭り宮清めの祭りであるとかの諸説があります。

ユダヤ人が最も重要視するのは「過ぎ越しの祭り」であり、冠詞がついていれば、「過ぎ越しの祭り」の可能性が非常に高く、「過ぎ越しの祭り」と断定してもいいのですが、ここには冠詞がついておらず、ここで指し示している「ユダヤ人の祭り」が「過ぎ越しの祭り」とする根拠はありません。

またヨハネの福音書の著者は「過ぎ越しの祭り」はちゃんと「過ぎ越しの祭り」と記しているので、ここで「ユダヤ人の祭り」として紹介しているのは「過ぎ越しの祭り」ではなく、エルサレムにはローマ人や外国人も多く住んでいて、それらの人々の行う祭りと区別する必要からか、

または、このヨハネの福音書の読者としてユダヤ人以外を想定しているので、

ユダヤ人が大切にし、祝っている祭りとして「ユダヤ人の祭り」との但し書きを記したのではないかと思われます。

さてここで、この祭りが「過ぎ越しの祭り」だとすると、イエス様は公生涯に入られてから「過ぎ越しの祭り」を4回以上過ごされた事が確実になり、公生涯は丸3年以上となり、ある意味で大切な事なのです。

そかしそれは、イエス様の公生涯が2年と考える学者や、4年以上と考える学者にとって重要な問題であって、私たちにとって重要かどうかを考えた時、それは疑問です。

神様は必要な事はきちんと聖書に記して下さっていますから、イエス様の公生涯が何年かと言う事が、私たちにとって必要な事なら、それを明確に記録して下さった事でしょう。

それなのに公生涯が何年と解かるような記録がされていないのは、私たちにとって重要ではないからであり、それ以上詮索する必要はないし、そんな事を論議する事を、神様は望んではおられないからなのです。

聖書から神様のお考えを汲み取る事を大切にすべきであり、時系列や、出来事の整合性を追及する事ばかりに熱中しては、聖書の記された目的を見失ってしまう事になるでしょう。

2000年前の出来事を現代に適応させるために必要な最低限の事の考証に限定すべきであり、それ以上の詮索は不必要なのです。

それでもユダヤ人が大切にしている祭りの一つが行われていた事には違いありませんが、

イエス様がエルサレムに上られたのは祭り見物が目的ではありません。

エルサレムにもイエス様の助けを必要としている人がいるからであり、神様の愛する人がいるからであり、そのためならば、イエス様は何処にでも行かれるのです。

サマリヤ人はユダヤ人と付き合いをせず、交流は極めて限定されてものであったから、イエス様の方からサマリヤの町に出向いたのであり、このエルサレムには動けない病人がいたから、イエス様はエルサレムに上って来て下さったのです。

5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。

この「ベテスダ」とは「慈悲と慈愛の家」の意味で、エルサレムの北地区にありました。

「ヘブル語で」との但し書きもあるので、前述のようにユダヤ人以外の読者を想定しているためなのでしょう。

また「回廊」とは屋根付きの廊下であり、雨露をしのぐ事が出来たので、また日中の強い日差しを避けるにも都合が良かったので、しかも、池を取り囲む様に5つも回廊が付いていたので、多勢の人がこの回廊に集まっていたと言うのです。

5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者が伏せっていた。

彼らはエルサレム神殿への参拝客ではなく、病気の人、目が不自由な人、体に不自由な部分を持つやせ衰えた人々でした。

彼らが、このベテスダの池の回廊に佇んでいる理由を聖書は次のように説明しています。

皆様がお使いの新改訳聖書には3節の最後に米印が付いていると思います。

聖書は完全な形で保存されている訳ではないので、また印刷ではなく書き写していたので、一部に抜けがあったり、重複、写し間違えがあったりする事があるのです。

このヨハネの福音書にも、そのような抜け、余分があったのではないか、と考えられています。

現代、私たちが使っているヨハネの福音書には3節と5節の間の4節が抜けていますが、4節が入っている聖書もあるのです。

ヨハネの福音書が記された当初は、ベテスダの池の事は誰もが知っている事であり、敢えて説明しなくても良かったが、後世になり、知る人が少なくなって、また、ユダヤ人以外にも読んでもらっていたため、説明の必要を覚え、付け加えられたのではないか、などとも考えられています。

学者が研究の結果、抜けたものとも、元からなかったとも断定できないので、米印で読者に注意を促し、その抜けた可能性を持つ部分を欄外に記しているのです。

お読みしますので開かなくても結構です。

【彼らは水の動くのを待っていた。

5:4 主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初にはいった者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。】

ベテスダの池の故事来歴が説明されています。

「慈悲、慈愛の家」の名前の通り、神様の恵みによってどんな病気でも癒されるのですが、水が動いた時、最初に水に入らなければ、その恵みを享受する事は出来ないのです。

誰かが見張っていて、水が動いた時「水が動いたぞ、さあ入れ」と教えてくれたのでしょうか。

耳が聞こえ、動ける人は良いのですが、耳が聞こえず、動けない人は何時まで経ってもベテスダの池の恩恵に浴する事は出来ません。

癒されるのは最初に池に入った人だけであり、次に池の水が動くまで、何週間も、何年も待たなければならないのです。

順番待ちなら希望がありますが、我先にですから、待っていても最初に入れる保証はありません。

病気でも何とか動ける人、友達、家族がいて助けてくれるなら望みがありますが、動けない人、身寄りのない人は、希望もなく、それでも待っているしかない、哀れな人も多勢いたのです。

5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。

彼は、希望もなく、人々が癒されて、健康を回復し、喜んで帰って行くのを38年も眺め続けていたのです。

順番待ちなら、何時かは癒される希望がありますが、動けない身では池に入る事が出来ないのですから癒される事はありません。

この人は癒され、喜んで帰って行く人を見て、どんな思いを抱いていたのでしょうか。

最初の内は強い希望に溢れていた事でしょう。

仲間の病人が癒される事を喜び、次は私の番かも知れないと希望に生きていたのではないでしょうか。

しかし、水が動くのは極々稀な事です。

何年もひたすら待ち続けた事でしょう。

そして、何年か振りで水が動いた時、癒されるのは自分ではなく、あの人。

次第に焦りが生じ、動けない自分に苛立ちを覚え、妬み、嫉妬、憎しみさえも覚えたのではないでしょうか。

しかし、38年も経っていては望みは絶望に変り、諦めになっていたのではないでしょうか。

しかし、この人は諦め切ってはいなかったようです。

誰かが助けてくれるかも知れない、ここにいる皆が諦めて帰ってしまい、自分一人が残されて、一番に入れる時が来るかも知れないと、一縷の望みを置いて、池のほとりに横たわっていたのではないでしょうか。

5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」

よくなりたいか」とのイエス様の言葉はある意味、残酷な言葉です。

なりたくて病気になっている人などいるでしょうか。

良くなりたくない人などいるでしょうか。

誰もが良くなりたい、病気から、苦しみから解放されたいと願うのが当然でしょう。

しかし、余りにも長く苦しみの中に置かれていると、心がしなえて、どうでも良くなってしまい、

生きていても死んでいるのと変らない状態になってしまうこともあるのです。

神様から見捨てられた、神様には愛されていないんだ。

だから病気になり、こんな状態が何時までも続くんだ。

祈り続けても少しも良くならない。

昨日も今日も変らない。きっと明日も変らない。ずっとこの状態が続くのだ。

寝たきりなら、自分が居ても居なくても、世の中は変らないし、何の影響もない。

ただ横たわっているだけの人生なら、ここで断ち切ってしまうのが得策かも知れない。

考えはどんどんマイナス思考になり、自分の世界に引きこもり、神様を見上げない生活に入って行ってしまうのです。

最後には、自分の生きている事を呪い、世の中を呪い、神様を呪う人も少なくないのです。

癒されてもそれで失った38年の人生が取り戻せる訳でもない。

この当時の平均寿命が何年か解かりませんが、この病気の人も人生の半ば以上を病気で過ごし、健康を取り戻したとしても生きられるのは後僅かであるなら、今ここで癒されても癒されなくても大して変らないと思ってしまうのではないでしょうか。

しかし、この人はそのようには考えなかったようです。

人生、幾らでもやり直しが出来る、決して遅い事はない、今からでも充分祝福された人生を送る事が出来る、長さではない、どんなに短くても、健康を回復して、神様に仕える人生を歩めるなら、と考えていたのではないでしょうか。

5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

病気の男の言葉から、まだまだ希望を捨てていない事を汲み取る事が出来ます。

希望を持っている人の希望を打ち砕く事は神様の望まれる事ではありません。

神様は希望を叶え、生きていて良かった、と思う人生を与えて下さるお方なのです。

この病気の男が、希望を持っている事を確認し、諦めてはいない事を確認して、

5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」

5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

イエス様は神様の恵みを待ち望んでいる人のところに来て、その願いを叶えて下さいます。

希望を捨てなければ、必ず神様は、イエス様は、その願いを叶えて下さいます。

ここでイエス様は病気の人に向って一つの命令を与えました。

寝たきりで動けない人に向って「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じ、それを聞いた病気の人も素直にその言葉に従ったのです。

イエス様の言葉に従った時、病気は去り、男は自分の寝ていた床を取り上げ自分の足で歩み始めたのです。

38年の間、池の水を眺めていた男が、イエス様に目を向け、その言葉に従った時、転機が訪れたのです。

ここでもイエス様の言葉への応答、服従が記されています。

「床を取り上げて歩けなんて、無理言わないで下さい。38年も寝たきりなんですよ。

水が動いた時、池の中に入れて下さい。それで充分です。」

これが私たちの自然な反応かも知れません。

自分の考えとイエス様の考えは違います。

自分はこうして欲しいと考えていたとしても、イエス様は別の方法を考え、思いも寄らない方法を準備して下さっているかも知れないのです。

私たちの考えをイエス様にして頂くのではなく、イエス様の考えに従うのが私たちのなすべき事なのです。

病気の男はイエス様の素性を知る訳でもなく、回りの弟子の説得に応じたのでもなく、イエス様の言葉に素直に従ったのです。

そこには、ベテスダの池に神の使いが来る、と言う信仰があったからでしょう。

見ず知らずの先生だが、きっと神様は私を見捨てず、御使いを遣わし、動けない私を癒して下さるに違いないと言う信仰を持っていたのではないでしょうか。

自分の願いに神様を従わせるのではなく、イエス様の言葉に自分を従わせたのです。

その時、人間にはどうしようもなかった、38年と言う永きに渡る病気の縄目は打ち砕かれ、肉体の、精神の自由を獲得する事が出来たのです。

【適応】私たちはどんな状況に置かれても希望を失ってはいけません。

神様は私たちに耐えられない試練を与える事はないからです。

病気、苦しみは何時までも続くものではありません。必ず終りが来ます。

38年か、それ以上かは解かりませんが、永久に続く事はありません。

そして、希望を失わなければ、癒され、苦痛から解放されるのに遅過ぎる事はないのです。

今日のテキストでは病気が語られていましたが、病気は神様から離れた人生を現しています。

病気は罪の結果と考えられていた時代ですから、病気イコール神様からの呪いであり、病気の癒しは神様との関係の回復です。

神様との関係の回復は早いに越した事はありませんが、遅いから駄目、と言う事はないのです。

神様と出会い、神様を信じ、神様に従う地上での人生は、どんなに短くとも、病気がちでも、苦しい事が多くても、神様に覚えられている祝福された人生であり、逆に、神様から離れているならば、どんなに長い地上の人生であろうとも、健康であり、地位もあり、名誉もあり、財産があろうとも、神様の目には無意味な人生でしかないのです。

死ぬ瞬間であろうと、38年後であろうと、神様に立ち帰るなら、神様との関係が正されるなら、遅くはないし、間に合わない事はないのです。

神様は私たちが神様との関係を正す事を待っていて下さり、また、御使いを遣わして、その切欠を作って下さいます。

聖書を通し、礼拝を通し、デボーションを通し、私たちとコンタクトを取って下さり、

神様に従う人生に導いて下さいます。

「良くなりたいか」これは「意思があるか」「願うか」「欲するか」です。

言いかえるなら「神様に従う意思があるか」「神様と歩む事を願うか」「神様との関係を回復する事を欲するか」と言う事です。

強く願わなければそうはなりません。

願い続けた通りになるからです。

諦めたら諦めた通りになるのです。

神様との関係を正して、病気の中でも、苦しみの中でも、神様を見上げて生きて行きましょう。

池、つまりこの世を見つめていても、そこには希望はありません。

希望と見えるのもは、誰かが取ってしまえばなくなるものであり、また永続するものでもありません。

天を、神様を見上げた時に希望があるのです。

そこには汲めど尽きぬ祝福があり、永遠の命に通じる希望があるのです。

池を見つめて、何時訪れるか解からない儚い希望に生きるか、イエス様を見上げ、その言葉に従って、神様の下さる確実な希望に生きるか。

イエス様は今日も私たちの傍に来て下さり、声をかけて下さっています。

「良くなりたいか。不幸な現実ばかりを見つめていないで、私を見上げてご覧。

問題はもう解決しているんだよ。あなたはそれに気が付かないでいるだけなんだよ。

私に従って立ち上がりなさい。」

この招きに応じようではありませんか。

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聖書箇所:創世記1219                2015-3-22礼拝

説教題:「アブラムの歴史、神の示す地へ向う旅

【導入】

聖書に記されている系図や人名、地名の、その多くは、聖書の主題、即ち「罪とは何か」と「罪から聖められるための手段に付いて」を我々に伝えるための登場人物であり、ロケーションとしての土地です。

その意味で、一部を除き、殆どの登場人物や土地に特別重要な意味はありませんが、人名や地名から色々と連想するのであり、人名や地名には、人間的な思い入れや、神様に対する思いが込められているので、時に神様からの指示で命名する事もあり、誰に対しての指示であるかを明らかにし、責任の範囲を明らかにする目的もあり、決してどんな名前でも良い訳でも、誰でも良い訳でも、何処でも良い訳でもありません。

更に、実在の人名や地名を記す事により、架空の話しではなく、神話などではなく、真実であり、事実であり、実際に起こった歴史である事を明確にする意味がありましょう。

前回、召命、使命に付いてお話ししましたが、神様は不特定多数に語られる事もありますが、人物を特定して語られる事もあります。

神様は場所を特定しないで指示を出す事もありますが、場所を特定して語られる事もあります。

召命、使命は、人類全体に対する、普遍的な命令もあれば、

例えば創世記128

神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」」であり、

マタイの福音書2819

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」です。

逆に、非常に個人的な命令もあります。

例えばこれから学ぶ、創世記121

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」であり、

ヨハネの福音書2122

あなたは、わたしに従いなさい。」です。

その召命、使命は、召命、使命に相応しい人物だから与えるのではなく、召命に仕え、使命に生きる事を通して、辛さや失敗を体験し、自分の弱さ、小ささ、足りなさ、無力さを知り、神様と深い交わりを持ち、神様の助けを祈り、神様と共に生きる者とされて行くのであり、神様に従って生きる道と、自分の思い通りに生きる道の両端の間を、振り子のように、行きつ戻りつを繰り返しつつ、徐々に、段々と、整えられて、神様に従って生きる道に安定して行くのです。

それでも、自分の思いを優先させる事や、感情に翻弄される事もしばしばでしょう。

生まれや育ち、環境、文化や体験、経験は、良くも悪くも個性でもあり、完全に無くす事は出来ませんし、神様は命令に忠実なロボットのような人材を求めているのではありません。

神様は失敗しつつも、行きつ戻りつしつつも、神様を意識した生き方をする者を求めているのであり、聖書に記されている人物の失敗や不適切な言動を非難、批判するのではなく、私たち自身や、回りで起こる、失敗や不適切な言動を非難、批判するのでもなく、

すなわち、人を見るのではなく、どんな者をも愛してくださる、どんな者をも見捨てない神様の臨在を知るのでなければなりません。

神様の眼はセムの子孫、テラの子孫、救い主に繋がるアブラムに注がれます。

【本論】

12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

新改訳聖書第3版や新共同訳聖書では訳出していませんが、ヘブル語聖書には、1節冒頭に接続の単語(ヘブル語:バーヴ)があり、新改訳聖書第1版、第2版では「その後」と、口語訳聖書、共同訳では「時に」と訳しています。

前回、お話ししましたが、テラが死んだ「その後」に神様からアブラムへ啓示があったのではなく、ウルに住んでいる「時に」アブラムに啓示があり、それを12章で再確認した、

即ち、旅を中断していたアブラムに対して、再び啓示があった、と言う事なのではないか、

或いは、アブラムへの啓示に父テラが応答して、ウルを出立した可能性がありそうだ、と説明しましたが、アブラムが神様から啓示、召命を受けた当時は、アブラムは結婚しており、一家を構えてはいましたが、父テラは存命であり、父テラが当主であり、家長であり、父テラに従うのがルールです。

神様からアブラムが啓示、召命を受け、使命が与えられても、父テラの了解、承認、許可を受けなければ、アブラムは行動出来ませんでした。

アブラムが父テラに相談した結果、ウル出立に至ったのか、神様からのアブラムへの啓示、召命を父テラが知って、ウル出立に至ったのか、まったくのテラ自身の思い付きで、ウル出立に至ったのか、本当の理由は分かりませんが、ウルを出立し、ハランで旅が中断していた事は、事実です。

この「ハラン」ですが、新改訳聖書第2版までは「カラン」と訳されていました。

混在してしまったかも知れませんが「ハラン」と「カラン」は同じです。

今後は「ハラン」で統一したいと思います。

さて、ハランは月礼拝の盛んな都市であり、ハランに留まっていては月礼拝の盛んだったウルを出立した意味がありません。

父テラが死んで、父テラの許可を得なければ、と言う制限、障害はなくなりました。

父テラから独立し、アブラムは自由に判断、決断、行動できる状況になったのであり、

父テラの死後、きっかけを掴めずに、ハラン出立を延ばし延ばしにしていたアブラムに、

神様は再び啓示を、召命を、使命を与えられます。

あなたの生まれ故郷」は、当然、ハランではありません。

ウルの可能性、大、ですが、1節の記述からも、啓示はハランであったのではなく、ウル出立以前に啓示があった事が推測されましょう。

あなたの生まれ故郷」と訳されてはいますが、故郷」は狭い地域ではなく、国や広い地域を現す意味を持つ言葉であり、あなたの父の家を出て」と合わせて、あなたの国、あなたの親族を離れて」と訳す事が可能です。

故郷も親族も、分かれ難いものであり、忘れられないものであり、別れの困難さを現わしていましょう。

わたしが示す地」ですが、具体的な地名、地域は伏され、示されていませんから、文字通り、本当に未知の地に行く事を命じられた、と言う事なのです。

行った事はないけれど、地名は知っている、噂には聞いている、とは大違いです。

ハラン出立は、住みなれた社会との、親しい人々との、別れであり、偶像礼拝との、偶像の蔓延る社会との、偶像に支配されている社会との決別です。

信仰が試される命令ですが、従う先には祝福が待っています。

12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

2節には4つの種類の祝福が記されてあり、3節には3つの種類の祝福が記されていて、

合計7つの祝福が宣言されますが、完全な祝福、限りなき祝福、漏れのない祝福を宣言しているのです。

この7つの祝福は、神様の命令への従順を前提としつつも、神様の主権と恵みで与えられるのであり、報酬やご褒美として受けるのではありません。

大いなる」は数の優越性よりもむしろ、神様の前の偉大性を現す言葉であり、神様に守られている民、神様の使命を担っている民、神様の栄光を現す民、祭司の民となる事を宣言し、国民」は領民のみならず領土をも含む言葉であり、領民が領地にしっかりと根を下ろし、領地を隅々まで支配する事を宣言しているのです。

特に、3節後半の宣言「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」は、祭司としての働きに言及している宣言であり、世界はユダヤ人によって祝福され、究極的にはイエス・キリストによって完成されるのであり、世界はイエス・キリストによって祝福を受けるのです。

12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。

ウル出立、ハラン出立の命令は、不可能な難題ではありませんが、故郷、親族を離れる命令であり、行き先不明の命令であり、アブラム自身の年齢を考えた時、不安や迷いに悩まされる命令ですが、アブラムは単純、率直に命令に従いました。

しかし、無知故の服従、無責任な服従ではなく、「最善をなしたもう神様」への信仰、信頼、信任故に、即刻、ハランを出立したのです。

それはアブラム75歳、紀元前2000年頃の事と、推測されます。

12:5 アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。

彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い」ハランを出立しますが、

土地や家屋の処分は、どうしたのだろうかと、心配になります。

しかし、現代の不動産感覚で考えてはなりません。

登記所がある訳でも、住民登録がある訳でもありませんから、手続き上の問題はなく、元来、ユダヤ人は遊牧民族であり、天幕生活であり、質素な生活であり天幕を畳んで、衣類を纏めれば、出立に大きな問題はなかったでしょう。

しかし、全ての財産と奴隷を伴ってハランを出立したのであり、処分し、退路を断ったのであり、ハランに帰る意志が、ハランに戻る意志がない事を読み取る事が出来るでしょう。

唯一の神様を知り、唯一の神様に従う事を願い、心掛ける民に、月の神を祭り、礼拝するハランやウルは相応しくありません。

きっぱり縁を切らなければならないのであり、徹底さ、潔さが絶対条件であり、苦労や痛みが伴ったでしょうが、偶像礼拝、異教社会、罪の生活を離れる最適、最善の方法である事は押さえておかなければなりません。

中途半端は容易な反面、元に戻る可能性が大きいのです。

罪の力は強く、誘惑の力は巧妙です。

物理的にも、精神的にも、社会的にも完全な断絶が不可欠でしょう。

アブラムはこの決断をしたのですが、ハランの町の賑わいは、華やかさは、ナホルと、ナホルの子孫を引き留めました。

ハランに残る事になったナホルはアブラムを引き留めたのではないでしょうか。

人間は情に脆い生き物です。

情は大切な感情ですが、情に流されて判断を誤ってはならないし、決断を鈍らせてもなりません。

アブラムは親族のしがらみを振り切ってハランを離れたのです。

きっと、一度も振り向かなかったのではないでしょうか。

振り返ったならば、決意が挫けるかもしれないからです。

親子、親族の関係よりも優先させるべきは、神様の命令です。

神様の命令を最優先させ、アブラムはハランを出立し、凡そ800kmの旅を続け、カナンに到着しますが、カナンが目的地とは知らされていないアブラム一行は旅を続け、

12:6 アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。

モレ」は「占うもの、導くもの」の意で樫の木」は注釈付きの聖書に記されているように「テレビンの樹」と思われ、巨木で15m以上に成長し、樹齢は100年から1000年と言われており、日本で言う所の「御神木」のような存在、場所であったようです。

この辺り一帯は「カナン人」の支配下にあり、「カナン」と呼ばれていたのですが、

カナンの宗教が支配する土地であった事を暗示しています。

12:7 そのころ、【主】がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。

行き先不明の旅は、800km以上の旅は、心身ともに疲れたのではないでしょうか。

これでやっと困難な旅も終わりかと思いましょうが、旅は終りではありません。

7節で、神様が宣言されているのは、旅の終息ではありません。

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」であり、カナンの地は、アブラムの子孫に与えられるのであり、今、アブラムに与えられるのでもなく、今、旅が終わるのでもないのです。

びっくりし、がっかりし、不平の一つ、呟きの一つも口に出そうな場面ですが、アブラムは「祭壇を築いた」のです。

「祭壇」は「生け贄」を献げる場であり、「礼拝」の場です。

その理由は「自分に現れてくださった」です。

汚れた者に、罪深い者に、まったく資格のない者に神様が「現れてくださった」事以上に大きな、大切な、重要な理由があるでしょうか。

23節の、7つの祝福を与えられた事に感謝して「祭壇を築」きそうなものですが、カナン到着も、アブラムにとって通過点でしかなく、永住の土地ではありません。

長旅の守りも、カナン到着も、7つの祝福も、神様が「現れてくださった」事に勝る事でしょうか。

神様が「現れてくださった」事は最上級の祝福であり、この「カナン」で神様にお会いしたのですから、「カナン」こそ「祭壇を築」くのに、一番相応しい場所なのではないでしょうか。

そして、「祭壇」は証しの印でもありましょう。

先に「カナン」にはカナン人が住んで、支配しており、カナンの宗教が蔓延っていると言いましたが、そこに、唯一の、真の神様の祭壇が築かれたのであり、異教の地に、楔が打ち込まれたのであり、小さな祭壇かも知れませんが、偉大な祭壇であり、神様の祝福の証しなのです。

12:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は【主】のため、そこに祭壇を築き、【主】の御名によって祈った。

シェケム、ベテル、アイ、共に、旧約聖書では重要な土地です。

巻末の地図「12部族に分割されたカナン」で、位置関係を確認して見ると、「マナセ」の「セ」の字の下に「シェケム」があり、「エフライム」の「イ」の字の下に「ベテル」と「アイ」があります。

三つ共、カナンの中央に位置します。

いわば、カナンの心臓部2箇所に祭壇を築いたのであり、将来カナンがアブラムの子孫のものになるとの約束の印が刻まれたのです。

アブラムの旅は終わりません。

12:9 それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。

「ネゲブ」は都市の名前ではなく、地域の名前であり、巻末の地図「12部族に分割されたカナン」で確認するならば、死海の南西に広がる乾燥した高地であり、「ユダ」と「シメオン」に挟まれた地域です。

アブラムはシェケムで祭壇を築き、ベテルの東でも祭壇を築き、祈りを献げ、また旅を続けたのです。

天幕を張り、数日を過ごしてから、天幕を畳み、また旅を続けたのであり、終りのない旅ですが、神様に従う旅は、正に、終りのない旅なのではないでしょうか。

【適応】

しかも、到達点の分からない、到達点を知らされていない旅なのです。

目標が明確であって、自分の状態を知っていれば、可能か不可能か。

何時、到達するか、の予測がつきます。

困難を想定し、対策を立て、問題に対処して、目標に達するのですが、神様に従う道は、信仰は、目標があるようでなく、目標がないようであるのです。

目標は見える目標ではありません。数値で現せる目標ではありません。

行動で現せる目標でもありません。

目標はどんな時でも、どんな状況でも、どんな所ででも神様に従う事です。

他人と比較できないし、参考にもなりません。

あなたが神様に従ったか否かであり、これに尽きます。

Aさんの通過点が、Bさんの到達点かも知れませんし、Cさんの出発点かも知れません。

信仰生活の長さも短さも関係ありません。

奉仕の質、量も関係ありません。

年齢も、性別も、職業も、国籍も、関係ありません。

信仰の旅は、何処に行くのかを知らされていない旅であり、誰もがここだと思ったとしても、旅は終わらず、到着点の分からない旅を続けるのです。

孤独な旅を続けるのであり、不安な旅を続ける事になるでしょう。

神様の約束の地を見る事が出来ず、約束の祝福を味わう事が出来ない事もあるでしょうが、

創世記121

あなたは、わたしが示す地に行きなさい。」なのです。

導入の

ヨハネの福音書2122

あなたは、わたしに従いなさい。」と共通するのではないでしょうか。

何処までも行くのであり、何処までも従うのです。

地の果てまで行くのであり、死にまで従うのです。

召命、使命は、召命、使命に相応しい人物だから与えられるのではなく、召命、使命に従い、生きる事を通して、辛さや失敗を体験し、自分の弱さ、小ささ、足りなさ、無力さを知り、神様と言葉に表現できない深い交わりを持ち、神様の助けを祈り求め、神様と共に生きる者とされて行くのであり、神様に従って生きる道と、自分の思い通りに生きる道の両端の間を、振り子のように、行きつ戻りつを繰り返しつつ、神様のお取り扱いを受けて、整えられて、神様に従って生きる道に安定して行くのです。

勿論、振り幅の少ない人、安定した人もいらっしゃるでしょうが、その人はその人であり、良くも悪くも一切の干渉をすべきではありません。

比べる必要もなく、真似する必要もなく、目標にする必要もなく、悲観する必要もなく、羨む必要もなく、優越感を持ってもならず、批判してもならないのです。

あなた」と「わたし」即ち神様との関係だけなのです。

理由を捜して断る事も、延期する事も出来るでしょうが、祝福もまた延期され、受けられなくなるでしょう。

この世の物を捨てて、例え困難や死が待っていたとしても、神様への信仰を持って、神様に従って、神様が示す地への歩みを生涯続けたいものです。

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聖書箇所:創世記112732                2015-3-15礼拝

説教題:「テラの歴史、カナンへ向う旅

【導入】

聖書に記されている歴史、系図は、人名は、「人類の歴史」と言ったような、漠然とした大きな枠組の歴史ではなく、「アダムの系図」「ノアの系図」と言ったような、私たちとどのように関係するのかもわからない、曖昧模糊とした系図、人名でもなく、人間が造られた目的を教え、人間に与えられた使命に沿った、神様を中心とした生き方を選んだ民と、造られた目的や使命を無視して、自分中心の生き方を選んだ民の歴史です。

人間が神様に対して罪を持つ存在である事を確認し、罪と向き合った人々の歴史であり、罪と戦った人々の系図です。

ここで「罪」と言うのは、一般的な意味での罪、犯罪ではありません。

聖書が示す所の「罪」とは、万物の造り主である神様に背を向けた生き方であり、神様の主権を認めず、神様を無視し、自我の思いのままに生きる事です。

アダムとエバから始まった、「罪」は、子に孫に、曾孫に子孫にと引き継がれます。

罪の力、影響力、蝕む力は侮れず、癌のように広がり続け、留まる所を知らず、人類を蝕みます。

あっという間に世界は「罪」で満ち、堕落し、暴虐が横行、蔓延してしまったのです。

神様は悲しまれ、大洪水によって世界を滅ぼす事を決意されますが、罪の満ちる世界の中で、罪の影響を受けつつも、罪を悲しみ、罪を離れて生きようと願って来たノアとノアの三人の息子をご覧になり、神様は辛うじて御こころに適ったノアとノアの三人の息子を選ばれ、大洪水の滅びから救い出し、神様の主権を認め、神様を崇め、神様の御こころに沿った世界を造る使命を与え、働きを委ねられました。

ここで人類は、神様の主権を認めず、神様を無視し、自我の思いのままに生きた先には、壊滅的な滅びが待っている事を、教訓として体験した訳ですが、ノアも、ノアの三人の息子セム、ハム、ヤペテも、その子孫も罪から隔絶されている訳ではなく、先祖から引き継いだ罪の影響を受け、ハム、カナンは堕落に満ちた世界を作り上げて行くのです。

一方、セム、ヤペテは神様から与えられた使命に生きる努力を続けますが、「朱に交われば赤くなる」の言葉の通りであり、一緒にいて罪の影響を受けない訳には行きません。

何時しか、気付かない内に罪に加担し、神様に敵対する事となります。

バベルの塔の建築を契機として、人類は強制的に離散させられる事になりますが、離散は罪から離れる事であり、言葉の混乱は神様の憐れみであり、裁きではありません。

離れ離れになった人類ですが、神様の眼は小さな小さな群れを見捨てる事も、切り捨てる事もありません。

神様の眼はセムの子孫、テラの子孫、救い主に繋がるアブラムに注がれます。

【本論】

11:27 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。

原文には27節の冒頭に「そして」と言う単語が置かれていて、今まで語ってきた事の継続である事を明確にしています。

何故ならば、新しい展開が始まりますが、断絶ではなく継続なのであり、単なる継続ではなく、大きく舵を切る発展的飛躍ではありますが、連続であるからなのです。

その、大きな飛躍を任されたのがアブラムです。

そのアブラムですが、テラの、三人の息子の先頭に記されていますが、長男ではなさそうです。

テラは70歳の時に第一子をもうけ、親となっていますが、ハランの娘ミルカがナホルの妻となっている事、ハランの孫ベトエルの娘リベカがイサクの妻となっている事、その時イサクは40歳であった事、等を考え合わせての聖書研究者、学者の見解は、「ハラン、ナホル、アブラム」の順ではないか、更に、ハランと次男、三男との年の差も大きかったのではないか、ハランはかなりの高齢ではないか、と考えられています。

ナホルとアブラムの生まれ順、年の差を知る手掛かりはありませんが、アブラムは100歳の時にイサクを生みますが、孫と言って可笑しくない年齢であり、イサクが40歳になった時に、アブラムの兄弟ナホルの孫娘リベカが、イサクの嫁になっているのですから、アブラムとナホルに、大きな年の差がなかったと考えるのが順当でしょう。

ハランがロトを生んだ時、ナホルやアブラムは結婚していませんでした。

ナホルやアブラムが結婚する年齢に達した頃には、ハランは死に、家督はロトに譲っていたのではないかと考えられています。

ロトはアブラムの甥に当りますが、年齢差は殆どなかったのでは、或いはロトの方が年上だった可能性を否定できません。

前回、親となる年齢や、寿命について学びましたが、聖書の記述から知り得た限定された情報であり、平均値でもなければ、一般論でもありませんから、順番も、年齢も確かな事は言えません。

しかし、推測するのは、関係性を考える上で重要です。

甥は必ずしも年下ではなく、聖書の記述がそのまま生まれ順ではない可能性を考慮するのは大切です。

長男、高齢と目される、ハランは 11:28 その父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。

アララテの山に漂着したノアとノアの三人の息子たちですが人数も増え、各地に広がって行った事は前回までにお話しした通りです。

しかし、皆が皆、計画的に、相談しながら、連絡を取り合いながら広がって行った訳ではありません。

ある人々は留まり、ある人々は離れて行ったのです。

東に行くかも、西に行くかも、南に行くかも、北に行くかも、てんでんばらばらだったでしょう。

先の者を追い越して行ったかと思えば、追いつかれ、或いは一緒になったりもしたのではないでしょうか。

広がるのが目的であり、行き先が決まっている訳ではありません。

テラの一族は、「カルデヤ人のウル」に留まり、ウルに腰を据え、生活を営んだのです。

カルデヤ人のウル」と記されていますが、後の時代に命名されたのであり、テラが到着した時、既にカルデヤ人が住んでいた訳ではありません。

バベルの事件で散って行った人々が町を形成し、後に「カルデヤ人のウル」と呼ばれるようになったようです。

この「ウル」は現在の「テル・ムカイヤル」ではないかと考えられています。

また、「カルデヤ人の」の語源は「カスディーム」であり、「ケセデの」と訳せます。

創世記2220節以降にナホルの子孫の名前が記されていますが、「ケセデ」はナホルの子であり、ナホルの子ケセデがこの地に留まり続け、ウルの町の有力者となり、「ケセデのウル」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

ウル」はウィキペディアでも検索出来ますが、月の神「ナンナ」礼拝に重要な役割を果たした町であり、月の神殿と、ジグラッド「宗教的意味を持った聖なる山、或いは塔」があったそうです。

バベルの事件で散らされて、定着した人々が月礼拝を始めたのでしょう。

しかし、唯一の神様に従う人々に相応しい滞在地ではありません。

しかし、ウルはユーフラテス川の下流にあり、交通の要衝でもあり、住むには便利だったようです。

ウル滞在中に、ハランは死にます。

事故だったのか、病気だったのか分かりませんが、息子ハランの死は家族にとって相当のショックであった事は間違いないでしょう。

この事は、31節、ウル出立の伏線になっているのかも知れません。

11:29 アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。

ナホルの妻の事に付いては、詳細に語られていますが、アブラムの妻、サライに付いては何も語られていません。

しかし、創世記2012節に

20:12 また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。」と記されており、アブラムとサライは異母兄弟の関係であった事が分かります。

月礼拝が蔓延る異教社会の中で、アブラムもナホルも身内から、親族から妻を迎えたのであり、異教徒との結婚を避け、異教に染まらない努力や工夫をした事が記録されているのです。

勿論、異教社会に留まらない選択をする方が賢明である事は語るまでもありませんが、

異教社会も神様の支配される社会であり、異教社会の中で、異教の風習に染まらず、神様に従う行き方で神様の栄光を現すのも、大切な働きである事は覚えておかなければならないでしょう。

しかし、これは簡単な事ではなく、誰にでも出来る働きではなく、選ばれた者が、与えられた賜物と神様の助けによってのみ、なし得る働きであり、この働きがなければ異教社会は真の神様を知る事がなく、確実に滅びますが、神様の願いは異教社会を滅ぼす事ではなく、真の神様を知り、罪を離れて、悔い改めて生きる事であり、異教社会の中で神様の栄光を現す働きに、生き方に、大きな期待を掛けつつも、異教社会から離れる事、異教社会を避ける事を命じる事もあるのです。

11:30 サライは不妊の女で、子どもがなかった。

一方、ナホルの妻、ミルカは多産であり、創世記2220節に記されている通りに、8人の息子が与えられ、将来、アブラムの息子イサクの妻となるリベカの父ベトエルも生まれるのです。

片や子沢山、片や子どもが与えられない。

サライは辛い、悲しい思いもしたでしょうが、家族、兄弟、親族を助け、幼い時のベトエルの世話もしたのではないでしょうか。

ベトエルはアブラムにとっても、サライにとっても甥っ子であり、この時に培われた関係が、将来の布石になっているのであり、ベトエルに、大切な娘リベカを嫁がせる決心をさせたのであり、神様のご計画の緻密さ、深遠さ、不思議さを感じるのではないでしょうか。

ウルでの生活がどれ程の期間であったかを知る事は、難しい事ですが、異教の地に長く滞在するのは賢明な事ではありません。

そこで、

11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。

ウルを後にして、カナンを目指して出発しますが、旅はハランで中断してしまいます。

ウルとカナンとハランの位置関係ですが、ウルはユーフラテス川の下流にあり、ウルの西、直線距離で1000km以上離れた所にカナンがあります。

一方、ハランはユーフラテス川に沿って北西、直線距離で900km以上離れた所にあります。

ハランとカナンは直線距離で800km以上離れており、ハランはカナンへの旅の途中では言えず、中継地点とも言えません。

しかし、道を間違えたのではなく、寄り道をしたのでも、歩き易い道を選んだ結果でもありません。

そもそも、テラがアブラム、ロトを連れてウルを出立した理由が記されていません。

何故、テラはウルを唐突に出立したのでしょうか。

一つには、ウルと言う異教社会からの別離であり、月の神「ナンナ」との決別でしょう。

何らかかの理由で、唯一の神様に従う民である事の自覚が起こり、ウルを脱出させる動機となったのかも知れません。

その理由は、ハランの死かも知れません。

月の神「ナンナ」を積極的に礼拝していなかったにしても、共存していた事は、大きな失態でしょう。

ハランの死は、自分たちが誰によって生かされているか、養われているかを考えるきっかけとなったのではないでしょうか。

もう一つの理由は、テラは神様のアブラムへの啓示、召命を知っていたのではないかと言う、推測です。

聖書は時系列で記されていませんから、創世記121節以降の啓示が、テラの死後、アブラムに与えられた啓示であると断定できません。

創世記121節の「その後」は「時に」と訳しても、全く問題ありません。

テラが死んだ「その後」に神様からアブラムへ啓示があったのではなく、ウルに住んでいる「時に」アブラムに啓示があり、それを12章で再確認した、

或いは、中断していたアブラムに対して、再び啓示があった、と言う事なのでしょう。

さて、アブラムへの啓示にテラが応答して、ウルを出発した可能性がありそうです。

息子の召命、使命への援助、息子への応援の姿であり、非常に微笑ましく、親として、家族として相応しい行動でしょうが、反面、非常に人間的です。

啓示や召命は非常に個人的なものであり、誰かに助けを求めても、助けを押し付けてもならないものです。

善意から出た行動であり、支援や援助の思いが純粋でも、召命による主体的な働きは、召命を受けた本人だけの問題であり、必要なら、神様が働かれて、支援者を起されるでしょう。

神様は支援者に対しても、啓示を与え、召命を与え、支援者としての自覚、責任を知らせ、支援者足らしめられ、その上で用いられるのです。

どんな働きも友情や親情、同情や義憤が動機であってはなりません。

神様からの啓示、召命に応答して、直接の働きに就き、支援の働きに就くのです。

そうでなければ、嫌になったから止める、思った以上に大変だから止める、状況が変ったから止める、関係が崩れたから止める…になるでしょう。

召命はそんなものではありません。

それこそ、文字通り、命懸けです。

命懸けで働きに就き、命懸けで支援するのです。

しかし、召命は一度就いたら絶対に止められない働きではありません。

止める啓示を祈り求め、止めると言う召命を祈り求めなければなりません。

神様からの啓示があってから、働きを止め、支援を止めるのです。

テラのアブラムへの支援は、暖かく、優しさに溢れたものでしたが、目的地も分からない旅は、召命がなければ続けられる旅ではありません。

先に、ウルとカナン、ハランの位置関係を申し上げましたが、900km以上の旅であり、人間的な動機からの旅立ちが、挫折、中断するのは当然の結果でしょう。

この「ハラン」はアラム・ナハライム地域での重要な町の一つであり、ウル」と同じく、月神礼拝の中心地であり、故郷を懐かしむテラは、ハランに落ち着く事になってしまうのであり、

11:32 テラの一生は二百五年であった。テラはハランで死んだ。のです。

短命が定着しつつある時期に、205歳は長寿ですが、働きを中断してしまっては、せっかく、異教社会を離れたのに、再び異教社会に定着してしまっては、長寿は災いでしかありません。

寿命の長短に拘る事なく、意味のある生涯を過ごしたいものです。

【適応】

安易な考えでの旅立ちや、新天地捜しは無謀です。

素晴らしい働きだからと、安直に支援を申し出ても、皆が賛同しているから、仕方なく支援に加わっても、何の啓示や召命もない中での、申し出や参加には意味がありません。

逆に、障害にさえなりかねません。

金も出すけど、口も出すのは、手に負えません。

この世の常識や、経験、一般論、経済論、社会学などなどを引き合いに出し、損得、効果やリスクを延々と説く事は珍しい事ではありません。

しかし、神様の業、神様のご計画は、この世の常識ではあり得ない事もあり、この世の価値、経験、損得、効果やリスクで推し量り、推し進める類のものではありません。

損得勘定、費用対効果、リスク管理、市場調査、未来予測、ニーズ調査などなどは、ビジネスの世界では必須、不可欠でありましょうが、神様のご計画では、信仰の世界では、損をしても、費用がかかり、効果が少なく、リスクが大きく、危険さえ伴う事であっても、

神様が行きなさい、やりなさいと仰られるならば行くのであり、やるのです。

神様が止まりなさい、止めなさいと仰られるならば止まるのであり、止めるのです。

神様が死になさい、生きなさいと仰られるならば死ぬのであり、生きるのです。

アブラムの生きた時代、目的地がはっきりしていたとしても900kmの旅は、困難の連続であり、死を覚悟の旅であり、人間の意志や決意で達成出来る事ではありません。

神様の啓示を受け、召命を確信した者だけがなし得る働きなのです。

神様は命令と共に、必要ならば、助けも用意し、与えてくださいます。

神様から啓示を受け、召命を受けた者は、使命の達成のために祈り、神様の助けを待てば良いのです。

自分で助けを捜したり、募る必要はありません。

勿論、啓示を与えられた事や、召命を受けた事を隠す必要はありませんし、時には言明する必要があるでしょうが、悪戯に吹聴するのは控えるべきでしょう。

啓示が与えられ、召命を受けても、実際に働きに就くのは遥か未来である事もあるからです。

啓示を与えられた者は、召命を受けた者は、神様が「ゴーサイン」を出されるまでは控えているべきであり、備えの時として、待機しなければならないのです。

ひたすら待つ事もあるでしょうし、何かの訓練を受けて過ごす事もあるでしょう。

その間に、神様は助け手を備え、支援者を用意してくださいましょう。

全ては神様の栄光のためであり、神様の備えの中で、全てが進められ、出合わせられ、協力し、神様の栄光が現されるのです。

神様主導の働きは、主体的な働き人だけでなく、助け手や支援者も、神様の導きの中で備えられなければならないのです。

ここにおられる皆様の中に、或いは子や孫の中に、神様の啓示が与えられ、召命を受け、神様のご計画を主体的に担う者が起されるでしょう。

合わせて、ここにおられる皆様の中に、或いは子や孫の中に、神様の啓示が与えられ、召命を受けて、神様のご計画を担う者を補助的に支援する者が、協力する者が起されるでしょう。

でも、決して自分の判断ではなく、先走る事のないように。

召命を確認するまで待つ事もまた、働きの一つなのです。

召命を受けた者の働きと集まりによって、神様の栄光が現わされるのです。

人間的な思いが、神様のご計画に先行する事のないように、

人間的な働きが、神様のご計画を妨げる事のないようにしたいものです。

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聖書箇所:創世記111026                2015-3-8礼拝

説教題:「アブラムに至るセムの歴史

【注釈】

今回のメッセージの箇所の聖書に登場する「アブラム」と、創世記17章以降に登場する「アブラハム」は同一人物です。

「アブラム」は親につけられた名前であり、

「アブラハム」は神様から与えられた名前です。

同じく「サライ」と「サラ」は同一人物であり、

「サライ」は親につけられた名前であり、

「サラ」は神様から与えられた名前です。

多少混乱するかも知れませんが、聖書の記述に従います。

【導入】

大洪水の前、極、限られた地域に住んでいた、アダムとエバの子たち、子孫たちであり、

大洪水の後も、極、限られた地域に住んでいた、ノアとノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテの子孫たちですが、紆余曲折ありながらも、徐々に人口は増え、支配する地域も少しつつ広がって行きましたが、バベルでの出来事を通して、人間は本当に世界中に広がって行く事になりました。

勿論、地球規模で考えれば、人間の支配地域は中東の一地域であり、文字通り、砂粒を少し撒いたようでしかなく、まだまだ未開の地は無限と表現しても間違いではない程に広大でしたが、それでも、点が小さな面になり、面が徐々に拡大して行った事は間違いありません。

ノアの三人の息子たち、セム、ハム、ヤペテの子孫の名前と、支配した地域の名前は、先にお話ししたので、重複は避けますが、ノアの三人の息子たち、セム、ハム、ヤペテの子孫70人が開拓した町、地域は、神様から与えられた其々の賜物を生かし、其々に発展して行きます。

革新的な建築法を生み出し、快適、安全な住居を手に入れましたが、自分たちの力、技術力を誇示し、結果、神様の命令に反抗してしまったので、神様のご介入があり、言葉の混乱が起こり、言葉が通じなくなってしまい、身振り手ぶりで意志を伝えるのは簡単な事ではなく、結果、離散する事になってしまいました。

離れて住まわざるを得なかったにしても、とんでもなく遠い所に離散した訳ではありません。

しかも、元々は兄弟であり、家族であり、親戚です。

同じ人間です。

全く交流がなくなってしまった訳ではなく、交易があり、行き来があり、協力があり、また刺激しあって、競争するように支配地域を広げて行ったのです。

しかし、その勢力拡大、支配地域の拡大に問題がなかった訳ではありません。

地球は本当に広いのですから、何処にでも行って、誰も手を付けていない地に出て行って開拓し、支配すれば良いのですが、人間の持つ罪故に、反目や諍いがあり、争いもあったのであり、時に殺し合いもあったのではないでしょうか。

誰かが開拓した地域を乗っ取れば簡単に支配地を広げられます。

土地の収穫物も、産物も苦労せずに手に入れられます。

神様の御こころに反した人々の、その支配が爆発的に広がる一方ですが、神様の救いのご計画もまた、地道ですが、着実に進められて行くのであり、救い主に繋がるアブラムに至るセムの系図が示されます。

【本論】

11:10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。

11:11 セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。

11:13 アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。

11:15 シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。

セムの子孫は、創世記1022節以降に記されている通りに、

セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。」であり、

10:24 アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。

10:25 エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。」です。

10章、11章に記されている名前の全てが、其々の子ではなく、孫かも知れませんが、子孫である事に間違いはありません。

セムの系図、アルパクシャデの系図は創世記10章に記されていますので、重複ではありますが、エベルはヘブル人の先祖であり、救い主に至る分岐点となる、重要な系図である事から、重複してまで記しているのです。

しかし、11章の系図には特徴があります。

単に人名と、子または孫の名前が記されているのではなく、何歳の時に生まれた子なのか、何年、生き長らえたのか、が記されています。

この記録の仕方は、創世記5章と同じです。

記録の仕方は同じですが、大きく違う点があります。

創世記5章の記録は、大洪水前のものであり、創世記11章の記録は、大洪水後のものである、と言う事です。

そして、親になった年齢と、寿命の違いです。

大洪水前の人々の、親になった年齢と、寿命ですが、

アダムがセツを生み、親になった年齢は130歳であり、アダムの寿命は930歳でした。

セツがエノシュを生み、親になった年齢は105歳であり、セツの寿命は921歳でした。

エノシュがケナンを生み、親になった年齢は90歳であり、エノシュの寿命は905歳でした。

ケナンがマハラルエルを生み、親になった年齢は70歳であり、ケナンの寿命は910歳でした。

マハラルエルがエレデを生み、親になった年齢は65歳であり、マハラルエルの寿命は895歳でした。

エレデがエノクを生み、親になった年齢は162歳であり、エレデの寿命は962歳でした。

エノクがメトシェラを生み、親になった年齢は65歳であり、エノクの寿命は365歳でした。

メトシェラがレメクを生み、親になった年齢は187歳であり、メトシェラの寿命は969歳でした。

レメクがノアを生み、親になった年齢は182歳であり、レメクの寿命は777歳でした。

ノアが子を生み、親になった年齢は500歳であり、ノアの寿命は950歳でした。

親になった年齢の平均は、極端に遅いノアは別格として116歳であり、寿命の平均は、極端に短いエノクは別格として921歳でした。

一方、大洪水後の人々の、親になった年齢と、寿命ですが、

セムがアルパクシャデを生み、親になった年齢は100歳であり、セムの寿命は600歳でした。

アルパクシャデがシェラフを生み、親になった年齢は35歳であり、アルパクシャデの寿命は438歳でした。

シェラフがエベルを生み、親になった年齢は30歳であり、シェラフの寿命は433歳でした。

エベルがペレグを生み、親になった年齢は34歳であり、エベルの寿命は464歳でした。

ペレグがレウを生み、親になった年齢は30歳であり、ペレグの寿命は239歳でした。

レウがセルグを生み、親になった年齢は30歳であり、レウの寿命は239歳でした。

セルグがナホルを生み、親になった年齢は30歳であり、セルグの寿命は230歳でした。

ナホルがテラを生み、親になった年齢は29歳であり、ナホルの寿命は148歳でした。

テラがアブラムを生み、親になった年齢は70歳であり、テラの寿命は205歳でした。

アブラムがイシュマエルを生み、親になった年齢は86歳であり、アブラムの寿命は175歳でした。

親になった年齢の平均は、セム、テラ、アブラムは別格として31歳であり、寿命は、セムの600歳から400歳台に落ち、200歳台へ、100歳台へと急降下するのです。

寿命が短くなった原因は、大洪水後の、気候の変化の影響でも、環境の変化の影響でも、

或いは創世記93節に

生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。」と記されている事、即ち、食の変化、肉食の影響でもありません。

創世記63節に記されているように、

そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。」からであり、この宣言がなされてから後に、大洪水が起こり、大洪水後に、肉食が許可され、人の寿命に変化を与え出したのです。

そして、寿命の短縮化に合わせて、親になる年齢も低下し、30歳台前半に落ち着くのです。

エベルはペレグとヨクタンを生みますが、ヨクタンの系図に付いては創世記1025節以下に詳細に記されていますし、傍系を先に記して、主流は後に記すのが、聖書の記述の方法です。

そこで聖書は、今後のユダヤ人の歴史、聖書の主題になる救いの歴史につながるペレグの系図について記しますが、ペレグの時代に幾つかの意味で「分けられた」ので、分割を意味するヘブル語「ペレツ」をもじって「ペレグ」の名前となりました。

灌漑、輸送のための用水路によって土地が分割されたとか、責任と権利を明確にする必要から、所有権が明確になったとか、の理由以上に、救いの歴史が始まったのであり、

神様のお考えに従う民と、自分の考えで決めていく民に「分かれた」事も理由の一つとなっているのではないでしょうか。

勿論、神様のお考えに従う民とは言っても、罪人であり、正義と罪悪の間を揺れ動いており、常に、どんな状況でも、何時でも何処でも、完全に従う事は出来ませんし、自分の考えで決めて行くとは言っても、誰にも相談しない、何でもかんでも自分だけで決める訳ではありません。

不信心な者でも、自分勝手な生き方の者でも「苦しい時の神頼み」はするでしょうが、

生き方、考え方が、決め方が、神様に重きを置いているか、自分中心か、なのです。

神様に完全に従う事の出来る人間はいないのですが、神様に従う生き方を願う者はいます。

そして、神様はそんな人々を選ばれるのです。

11:17 エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。

11:19 ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。

11:21 レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。

11:23 セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。

11:25 ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。

11:26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。

17節以降に名前の出て来た人々は、ユーフラテス川流域に都市を造り、生活を営んだようです。

セルグ、ナホルはユーフラテス川の上流の都市、カランの近くに町を造り、自分の名前を付けたようです。

28節に記されている地名、ウルは、ユーフラテス川中流域の都市であり、

ユーフラテス川を迂回し、西に向った人々が、其々に定着し、都市を造り、繁栄して行ったのです。

創世記10章に名前の記されているノアの子孫は70である、と申し上げましたが、その内の一つが「ペレグ」であり、創世記11章に名前の記されているペレグの子孫の数は、7つです。

707も完全数であり、聖書が非常に重要視している系図である事を示しています。

そのペレグの子孫にアブラムが登場し、中心はアブラムになるのです。

しかし、更に重要な事はアブラムの息子イサクの妻リベカはナホルの子ベトエルの娘であり、イサク、リベカの二人は、ペレグの子孫の中から選ばれたのであり、

ペレツは「分ける」「切り離す」の意味に加え、「分け選ぶ」「選択する」の意味で理解する必要があるのではないでしょうか。

神様の選びは、切り捨てるために選ぶのではなく、使命を与えるために選ぶのであり、

一方的な恵みによる選びであり、罪深い人間に、神様の造られた大切な被造物を委ね、

使命と共に、賜物も与え、助け手も用意してくださるのです。

創世記10章に記されているノアの子孫の数は70であり、

11章に記されているペレグの子孫の数は7でした。

707も完全数であり、神様が関心を持っておられる事、神様の主権で選ばれた民、働きを期待された人々である事を示しています。

ノアの70人の子孫、ペレグの7人の子孫、どちらにも、神様の特別な選びがあり、特別なご介入があり、特別な守りがあって、連綿と子の名前が、孫の名前が、曾孫の名前が記され続いているのです。

連綿と、事務的に息子、子孫の名前が記されていますが、現代でも、受胎は最大の神秘なのではないでしょうか。

出産までにも困難があり、出産にも大きな危険が伴い、全ての胎児が皆、無事に出産する訳ではありません。

子どもは何の問題もなく、自然に成長して皆が皆、大人になる訳ではありません。

常に危険や病気、死と隣り合わせであり、大人になったら、危険や病気を恐れなくても、いい訳ではありません。

事故や病気は終生付き纏いますし、自然災害、旱魃、冷害は大きく、長く影響を及ぼすのであり、決して、住み易い、生き易い環境ではないのです。

生きるに問題のない世界ではないのです。

寿命を全うするのは、当たり前の事ではないのです、普通の事ではないのです。

動植物の絶滅危惧種の事が話題になりますが、動物、植物だけの問題ではありません。

人間だって常に絶滅の危険に晒されており、

神様が創世記126

われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」とご計画され、

同じく創世記128

生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と命じられたので、

ご計画、命令と共に、助けと守りも与えられるので、生き長らえ、子孫を残す事が出来るのです。

神様に祝福されて70人の子や孫が与えられたノアであり、7人の子や孫が与えられたペレグですが、順風満帆だった訳ではありません。

ノアから、ペレグを経て、アブラムに至る系図には、記されていない艱難辛苦があり、一族消滅の危機もあったのではないでしょうか。

順当に子が与えられ、孫が与えられと、連綿と続いているように読んでしまいますが、

行間には、記されていない苦労と試練、存亡の危機が一杯あったのであり、

その苦労や試練、危機は神様の助けと守りによって乗り越えさせて頂いた事を読み取らなければならないのではないでしょうか。

詩篇121

121 都上りの歌

121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

のです。

【適応】

仕事も家庭も自分も問題ない。

家族も安泰だ。

それは自分の力や忍耐、努力や敬虔深さ、信仰深さのせいではありません。

神様が守ってくださり、支えてくださっている事を忘れてはなりません。

仕事にも家庭にも自分にも問題だらけだ。

家族も居ない、子どもも居ない。

それは信仰が弱いからでも、神様が手をこまねいている訳でも、見て見ぬ振りをしている訳でも、見捨てている訳でもありません。

ましてや、罪の報いや、呪いの結果でもありません。

守りも助けも、試練も患難も、即座か延期かも、神様の主権やお考え、タイミングである事を忘れてはなりません。

系図に記されていない、隠されている苦労や困難、悲しみ、そして喜び、楽しみ、祝福があるのであり、全て、神様の与り知らぬところで起こっている事は、何一つありません。

ノアの子孫から、セムの子孫から、ペレグの子孫から、何の問題も困難もなく、アブラムが生まれ、イサクが生まれ、ダビデが生まれ、イエス様が御生まれになったのではありません。

30歳前後で子どもが生まれる時代にあって、アブラムは86歳まで子が生まれない苦しみ、悲しみ、絶望を味わい、イサクやダビデは、子ども同士の仲違い、争い、殺し合いを目撃し、苦しみ、悲しみを味わい、ヨセフとマリヤは、幼子を皆殺しにする政策に怯え慄き、神様の導きで、ユダヤ人は戻ってはならないとされていたエジプトに避難したのです。

しかし、時に適って神様の助けがあり、守りがあり、支えがあり、慰めがあり、導きがあり、私たちの見えないところで、私たちの知らないところで、神様が働いてくださっているのです。

あなたが、私が、挫折しないように守ってくださり、助けてくださり、苦しみ、悲しみに打ちひしがれないように支えてくださり、慰めてくださるのです。

失敗に怯え、罪に悩まないように励ましてくださるのです。

聖書に記されている系図に登場する人物は、完全無欠の人物でもなければ、模範となるような人物でもありません。

アブラムは保身のためにとんでもない嘘を吐き、妻にも嘘を強要するのであり、しかも、懲りずに2度も繰り返すのであり、イサクもリベカも其々に片方の息子を偏愛するのであり、ダビデは人妻と知って姦淫を犯すのであり、計画的殺人を執行するのです。

しかし、それでも、神様から離れようとはせず、神様の下に居続けたのであり、

神様もまた、祝福を与え続けてくださったのです。

ノアの系図は、セムの系図は、ペレグの系図は、神様から離れなかった者の系図であり、

紆余曲折があり、失敗と懲らしめがあり、離反と引き戻しがありの、波乱万丈の歴史であり、系図なのです。

この系図の後にアブラムの子孫が主流となり、アブラムの子孫から救い主が御生まれになりますが、傍系のナホルの孫のリベカが、イサクの妻になり、救い主の誕生に繋がるのであり、傍系であっても、神様のご計画の重要な役割を担えるのであり、子孫を残さなくても、主流を助け、主流に負けない働きをさせていただけるのです。

神様を離れない系図こそ、祝福された系図なのです。

ここにおられる皆様の中から、或いは子や孫の中から、神様のご計画を担う者が起されるように、また、ここにおられる皆様の中から、神様のご計画を担う者を強力に助ける者が、強力に支援する者が、強力に協力する者が起されますように。

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聖書箇所:創世記1119                  2015-3-1礼拝

説教題:「バベルの塔、神の命令への反抗

【導入】

神様が人間を造られた目的は、創世記126

われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」であり、

神様が人間に与えられた使命、命令は、同じく創世記128

生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」でした。

その目的を達するための、使命、命令を果たすための助け手として動物が連れて来られましたが、動物の中からは相応しい助け手が見つからなかったので、神様の御手によって「女」が造られ、先の使命と命令は「男と女」即ち「アダムとエバ」、そしてその子孫に委ねられたのでした。

この使命と命令は、二つに分かれており、理解する必要があります。

一つの使命と命令は「生み、増える」事であり、もう一つの使命と命令が「地と生き物を支配する」事でしょう。

同時進行的な使命であり命令ですから、「増え」つつ「支配」する、「支配」しつつ「増える」のです。

そして、この使命と命令は、継続的な使命と命令であり、「増え続ける」事が、「支配を拡大する」事が期待されているのです。

この神様の使命と命令、期待に応えて、人間は順調に増え続け、支配地を拡大しつづけたのですがそれ以上のスピードで創世記611

地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた」ので、神様は大洪水を起し、人間と地を滅ぼす事を決意されたのでした。

その滅びの中から、ノアと三人の息子、セム、ハム、ヤペテが選ばれ、滅びを免れ、先の使命と命令を引き継ぎます。

創世記91節以降に記されている通りです。

それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。

9:2 野の獣、空の鳥、・・地の上を動くすべてのもの・・それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。

このノアと三人の息子、セム、ハム、ヤペテに与えられた神様の使命と命令は新しい使命、命令ではなく、アダムとエバに与えられた使命と命令と同じであり、人間全てに与えられた使命であり命令であり、変更も延期も中断もありません。

使命と命令を確認し、再スタートを切った人間ですが、人間の罪は、大洪水で洗い流される事はなく、1年の箱舟生活でも聖められる事もなく、罪は、ノアと三人の息子、セム、ハム、ヤペテに、その子孫に確実に引き継がれます。

人間は、神様の考え、神様の願いにどう応えて行くのでしょうか。

【本論】

11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。

全地」と言っても、大洪水以前と大洪水後との、人間の支配地域の広さと、言語の数におおきな違いはなさそうです。

アダムとエバから始まった、増え始めた人口は、増えたと言ってもまだまだ少数だったのであり、全地を覆うほどには広がってはいません。

アダムとエバがエデンの園を追い出されて、流浪の旅を終えて定着したのが、何処なのかははっきりしませんが、全地を支配してはいません。

ノアと三人の息子、セム、ハム、ヤペテから始まった、増え始まった人口も、まだまだ少数であり、全地を覆うほどには広がってはいません。

ノアたちが箱舟を造った土地が何処なのかも、箱舟が漂着した土地が何処なのかもハッキリしませんし、ノアと三人の息子、セム、ハム、ヤペテが住みついたのが何処なのかも特定できませんが、全地を支配してはいません。

アダムたちも、ノアたちも、地球規模に拡散した訳ではなく、極、限られた地域で生活していたのは間違いないでしょう。

そんな限定された地域が「全地」だったのです。

現代でも、人跡未踏の地は広大です。

まして、アダムの時代は、ノアの時代は、地球の殆ど全てが、人跡未踏の地なのであり、

自然に開けている土地と共に、人間が開拓した土地、人間が安心して住む事の出来る地域は、人間が充分管理、支配出来る地域は然程広くはなく、そんな、極限られた地域が「全地」であり、そこに住む人々は、交流も盛んであり、行き来も活発だったのではないでしょうか。

方言や、隠語、仲間だけに通じる言葉があったにしても、基本的に「一つの言葉、一つの話し言葉」が使われていました。

それは、言葉だけの問題ではなく、意志の疎通の問題であり、歴史や文化を共有していたのであり、共通の認識を持っていた事を現しています。

通訳を介さずとも、意志の疎通が出来たのであり、自然に感情を共有、共感出来たのです。

苦労せずとも、共通認識を持つ事が出来たのであり、聞き間違いや、言い間違い、勘違いはあったにしても、皮肉や、嘘があったにしても、男女間、老人若者間に、世代間に、ニュアンスの微妙な違いはあったにしても、基本的には意志の疎通に、共通の認識に、何の支障も問題もなかったのです。

大洪水以前も、大洪水後の世界も、人間はある程度、まとまって生活を営んでいたのであり、同じ言葉で意志の疎通を図っていたのであり、共通の言葉は、意志の統一を生み、強力な一致を生み、困難に立ち向かう強力な武器となって、増え続けていたのです。

11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。

先に申し上げたように、当時、地球の殆どは人跡未踏の地であり、人間の開拓スピードは遅々たる物であり、ノアたちは、箱舟が漂着した所から、さほど遠くない地域に拠点を置いていたと思われます。

ある程度人口が増えて来て、山裾の狭い所では人口を支えきれなくなり、広い所を捜す旅に出たのでしょう。

創世記84節の記述によれば、ノアの箱舟はアララテの山に漂着しましたが、この「アララテの山」はシュメールとバビロンの平原の北北西に位置するのではないかと考えられています。

「シヌアルの地」は、バビロンの北西、もしくはバビロンとも考えられていますので、

「アララテの山付近」から「シヌアルの地」に移動するには「東の方へ移動する」か「南の方へ移動」しなければなりません。

矛盾が生じる訳ですが、研究者は「東のほうから」を「東のほうに」と訳せるとし、矛盾を解消しようと試みます。

ここで、「バイブルアトラス」等の地図を開いてみると、アララテの山から見て、東方向がチグリス川に沿っての下りであり、南にバビロン平原が広がっています。

しかし、当時、地図がある訳ではなく、広い場所を捜しに、山を目指し登るのは不自然であり、楽な下りの道を選び、一度、東へ向い、大きく迂回して東からシヌアルの地に入植したのではないでしょうか。

或いは、現代の「アララテの山」と「シヌアルの地」の推定が間違っているのかも知れません、。

本当の所は分かりませんが、当初から目的地として「シヌアルの地」があり、「シヌアルの地」を目指したのではなく、紆余曲折あって、放浪の末に素晴らしい土地を「見つけ」たのであり、神様の導きによって「シヌアルの地」に行き着いたのであり、この事を見落としてはなりません。

神様によって導かれた「シヌアルの地」ですが、ここが人間の最終目的地、永住の地ではありません。

経過地点でしかなく、ここで増えて、広がっていかなければならないのです。

しかし、

11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。

博物館などで、住居の変遷を見ると、最初は自然の洞穴を利用した住居であり、人数が増えてくると自然の洞穴では数が足りなくなり、材木を使い、草で葺いた竪穴式住居になるでしょう。

更に、快適な生活を求めるようになると、レンガを用いた住居となる訳ですが、レンガは通常、日干しレンガであり、雨に弱く、強度や耐久性は期待出来ず、粘土も、手軽に入手出来ますが、雨に弱く、強度や耐久性は期待出来ません。

建物としての寿命は短く、大きな建物を造る事も出来ません。

安全、安心、強度を考慮するなら、石を用いるのが普通でしたが、大きさを揃えたり、運ぶに困難が伴いましょう。

加えて、シヌアルの地は平原であり、石を入手するのは困難であり、必然的に、比較的簡単に入手出来る粘土でレンガを作り、レンガを焼いて強度を上げた物を建材にしたのです。

焼いたレンガは強度、防水性、共に優れており、瀝青、即ちアスファルトは、粘着性、防水性、共に優れており、画期的な建材と言えるでしょう。

その恩恵を受けて、シヌアルの地で人口は爆発的に増加して行ったのです。

安全快適な住居建設技術を手に入れ、何処にでも生活の基盤を作る事が出来るようになり、人口も充分増え、分散しても困らない、何処でも充分やって行けるようになりました。

生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」のための条件は整いましたが、

11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」

町は外敵を防ぐために城壁を必要とし、城壁には防備のために要所要所に塔を配置するのが一般的であり、不可欠です。

しかし、ここでの「」は並外れて高い、桁違いに高い塔を建設しようとしたのであり、

一般的な防備の目的ではない、特別な塔を建設しようとしたのであり、塔に神的意味を持たせ、神に近づく手段、神と肩を並べる手段とした事を読み取れるのではないでしょうか。

名をあげよう」との言葉に、思いあがり、高ぶりが感じられるではありませんか。

現存する神殿を見るなら、塔と神殿が対で或る事を思い出していただけるなら、神的意味があったのではないかと考えるのは、自然な流れでしょう。

勿論、直接にこの「塔」が神殿ではなかったでしょうし、礼拝の対象でもなかったでしょうが、名をあげよう」には、威信を現す意味が、実力を誇示する意味があります。

この威信を現すのが、実力を誇示するのが、誰に対してであったかを考える時、当時、他民族は存在しなかったのですから、神に対してであり、神に近づく手段、神と肩を並べる手段とした事を読み取れるのです。

人間の力を結集して、心に思い計る事を実現しようとした態度の表明であり、神様が人間に与えられた使命、命令「地に満ちよ、地を支配せよ」の拒絶でもあるのではないでしょうか。

11:5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。

人間の才知の結集の結果である、巨大な塔でしたが、人間の威信を現し、実力を誇示するに足る立派な「町と塔」でしたが、神様が「ご覧になるために」は「降りて来」なければれない程の、ちっぽけな、貧弱な、見分けが付かない程度の物でしかないと言う、痛烈な風刺、皮肉なのではないでしょうか。

人間の知恵も、力も、経験も、神様の前には無いも等しいのであり、人間は儚い、無力な存在でしかないのです。

知恵を誇り、力を誇示し、技術を駆使しても、神様が造られた物を寄せ集め、組み立て、利用しているにすぎないのです。

その知恵や力、技術力も、神様から与えられたモノであり、誇れるものは何もないのです。

しかも、知恵や力や技術力を駆使しても、全くの無害で、純粋に価値だけを生み出すのは僅かであり、環境を汚染し、破壊し、動植物を絶滅させ、気象のバランスを崩しと、世界に混乱を招き、混乱を大きくする事ばかりなのではないでしょうか。

11:6 【主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。

人間の思い計る事が、悪に傾くのは、大洪水の前も後も変りません。

創世記821

人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ」。

勿論、神様に似せて造られているので、「善」を行なう事が全く出来ない、不可能な訳ではありませんが、常に罪と誘惑と、隣り合わせである事を忘れてはならないのであり、常に悪に引き込む強い力が、悪に傾く性向が、見えない所で、気が付かない所で働いている事を忘れてはならないのであり、常に警戒し、点検し、見張っていなければならず、少しでも悪の兆しがあったなら、もう少しで完成でも、直ぐに結果が出そうでも、ここで断念したらみっともなくても、不名誉でも、非難を浴びようが、止めるべきであり、離れるべきです。

止めさせるべきであり、離れさせるべきであり、分断させるべきです。

11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

神様の奇蹟的な介入があり「彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないように」されます。

事態が悪化して、取り返しの付かない状態に陥る前に、酷く罰しなければならなくなる前に、神様が介入されたのです。

処罰のための処置であるよりも、予防的な干渉、介入であり、神様の憐れみの処置なのです。

一致して悪に邁進し、背信し、処罰を受ける道よりも、分裂して悪から離れ、背信を免れ、処罰を免れる道に導かれたのです。

分裂は残酷な処置ではなく、分裂は多様性、独自性を育み、独善性や全体主義の弊害を防ぎましょう。

11:8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。

このエポソードでは「ことばの混乱」が分裂を引き起こしましたが、同じ言葉を用いるなら混乱が生じない訳でも、分裂に至らない訳でもありません。

同じ言葉を用いているにも関わらず、混乱が生じ、通じなく、分裂するのは極、一般的に見られる現象なのではないでしょうか。

政党でも組織でも、同好の集まりでも、分裂は日常茶飯事です。

合同したかと思うと、直ぐに分裂し、袂を別った相手と又手を組むのが不思議でも何でもない。

人間の罪のなせる業なのです。

それ程に、人間は罪深く、移り気であり、独善的であり、排他的なのです。

分裂は、虚栄に満ちた人間同士によく見られる現象であり、神様の介入がなくても、自然に分裂し、崩壊するのでしょうが、バベルの塔では緊急性や、現代に生きる私たちへの警告として神様が直接介入され、記録されているのでしょう。

最後に「彼らはその町を建てるのをやめた」と記されていますが、「中断を決議した」のではありません。

「建てようとしても、建て続ける事が出来なかった」のであり「止めざるを得なかった」のです。

動機に問題を含む時、その計画は時を待たずして頓挫するのです。

11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。

バベル」は「混乱」を意味する「バラル」から派生した言葉です。

混乱の状態が、そのまま町の名前になってしまった訳で、不名誉な名前でありますが、私たちへの警告、警鐘であり、動機においても、経過においても、結果においても、人間の威信や実績を誇示するためではなく、神様に造られた者として計画し、点検し、推進し、歩まなければ、同じ轍を踏む事になるでしょう。

【適応】

人間は非常に弱く、脆い存在であり、何を成すにも、相応しい助け手が必要あり、助け合って生きるしかない存在です。

神様が、助けを必要とする生き物として、助け合って生きる物として造られました。

それ故に、集まろうとし、特定の集団や組織を構成しようとします。

その集まりや集団、組織は、神様のご計画に適ったものであり、良い物であり、悪い物ではないのですが、人間の持つ罪故に、良い物であるはずの集まりや集団、組織も、罪の影響を必ず受けるのです。

否、罪もまた集まって強い力を発揮し出す、と言う事を忘れてはならないし、警戒しなければならないのです。

そして、罪の影響は、競争社会、この世の社会の中では当然の事かも知れませんが、教会の中にも、キリスト教の団体、組織にも起こり得るのです。

強い人の意見、強引な人に従うようになり、不平や不満が蓄積してくる。

奉仕や働きに競争が生まれてくる。

他人との比較が始まり、優劣が話題になって来る。

優れている人を妬み、劣っている人を蔑む。

教勢を誇り、教会堂を誇り、設備を誇る。

行事を誇り、働きを誇り、歴史を誇る。

他の教会や他の教団との違いを誇り、また、それらとの比較で一喜一憂し、右往左往する。

教会の威信を示し、教会の実績を誇示しようとする動きには、警戒しなければなりません。

実際の実物の巨大な「塔」を問題にしているのではなく、私たちの心に、心の中に「バベルの塔」があるかないかを点検しなければならないのです。

プライドかも知れません。

学歴、社会的地位、実績などの自慢かも知れません。

誉められる事かも知れません。

教会が自己実現の場、働きが自己主張の場になっていないでしょうか。

神様が与えてくださった賜物を豊かに用いて、素晴らしい働きはすべきですが、

実績は残して良いのですが、働きも実績も、神様の与えてくださった賜物を用いた結果である事を忘れてはならず、働きを誇ったり、実績を自慢してはならないのです。

個人も教会も教団も、人間の願いや目標で活動するのではなく、常に、神様の御こころを聴き、御こころに従い、御こころを行なわなければならず、御こころならば不本意でも、残念でも、嫌でも従わなければならないのです。

祝福の基として与えられた知恵や力を、神様の栄光のために用いる時、個人も集団も、教会も教団も祝福を受け、発展的分割を繰り返し、その分割は祝福への出発であり、行く先々で良い働きをするに至るでしょう。

しかし、祝福の基として与えられた知恵や力を、自分たちの栄光のために用いる時、個人も集団も、教会も教団も呪いを受け、破壊としての分裂をし、その分裂は災いへの出発であり、消滅し、痕跡すら残しはしないでしょう。

クリスチャン人口の低迷、景気の悪さで、閉鎖を余儀なくされる教会があります。

建物はなくなりますが、その教会の働きや歴史が消滅する訳ではありません。

その教会の働きや歴史は、記録は、関係教会に引き継がれ、保管されます。

何かの折に、働きや歴史が掘り起こされ、明るみに出され、神様の栄光が称えられます。

なにより、神様が知っておられ、祝福してくださいます。

与えられた賜物、知恵や力を、主にあって用い、主の栄光のために用いる時、罪人の働きであっても祝福を受け、世に残り、語り伝えられて行くのです。

私たちの思いが、願いが、働きが、神様の祝福を受ける思いであり、願いであり、働きであり続ける事が出来るように祈り、神様に仕える僕でありたいと願うものです。

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