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聖書箇所:創世記4713節から26節              2018-6-24礼拝

説教題:ヨセフの行なった政策

【導入】

前回、神の民のなすべき事は、人々を祝福する事であり、異教徒であっても、異文化圏の人々であっても、祝福すべきであり、敵でさえも、祝福すべきである事を確認いたしました。

しかも、形式的に祝福の言葉を述べるのではなく、祝福を実現させるべく、努力しなければならない事を確認しましたが、加えて言うならば、祝福を実現させるために、犠牲を惜しんではならず、無理解や、誤解から生じる迫害さえも、甘んじて受けなければならないのです。

イエス様が、十字架上で敵のためにも命を捨て、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と、執り成されたようにです。

神の民は、この罪の世に祝福をもたらす存在であり、この罪の世に、神の民が存在しているから、この罪の世は滅ぼされずに、存在し続けているのです。

神の民は、存在しているだけでも大きな意味がありますが、更には、祝福をもたらすために、具体的な行動を起こさなければなりません。

勿論、人それぞれに、賜物が違いますから、皆が一緒に、同じ事を、ではなく、それぞれが、与えられた賜物と、与えられた働きを通して、与えられた時に、この世に働きかければ良いのです。

ヨセフはエジプト王国宰相として、豊作の七年間に為すべき事を行ない、飢饉に入ってからも、為すべき事を行なって来ました。

エジプト王国と、エジプト王国民を守る、と云う大前提の下で、多少は強引な政策もあり、反感を買うような政策も執ったでしょうが、エジプト王パロの全面的な支持と、協力があって、大きな混乱も、反対運動もなく、飢饉3年目を迎え、ヨセフの政策は、最終段階へと入って行きます。

ヨセフの政策の最終段階とは、エジプト王国の将来のための政治改革、社会改革、税制改革であり、現実の問題、エジプト王国、エジプト王国民を守る事にも対処しつつ、その対処が、エジプト王国の将来に向けての、準備にもなる政策なのです。

昨今、地震が多発し、悲惨な被害が報道されていますが、崩れたモノを積み直すのみならず、崩れないように、工夫し、補強するべきでしょう。

弱点が露(あらわ)になったのですから、弱点を克服する手立てを執るべきです。

勿論、対策には時間がかかりますが、費用もかかりますが、チャンスと捉えて、対策を採るなら、先行投資であり、より安全な社会、災害に強い社会となるのではないでしょうか。

ヨセフの政策、改革は、私たちの信仰生活にどのような示唆を与えるのでしょうか。

【本論】

47:13 ききんが非常に激しかったので、全地に食物がなく、エジプトの地もカナンの地もききんのために衰え果てた。

未曾有の飢饉は、エジプト王国のみならず、もう一つの大穀倉地域カナンも、未曾有の飢饉に見舞われており、勿論、この二大穀倉地域のみならず、近隣の地域も飢饉に見舞われ、個々人の食物の蓄えは、多少の差があるにしても、微々たる物であり、既に底を尽いており、食物を調達する事が、非常に難しくなってしまっていました。

需要と供給のバランスが崩れ、物価が高騰しただけではなく、何処に行っても、お金を払っても、食物を手に入れる事が出来なくなってしまったのです。

これは、本当に切実な問題です。

現代のような、備蓄の技術があっても、長期の飢饉を乗り越えるのは、簡単な事ではありません。

二、三日ならば、水でも飲んで、飢えを凌ぎ、また日常の生活に戻れれば、元気も回復するでしょうが、既に、二年も飢饉が続いているとなれば、健康を害する者も出て来るでしょうし、働きに見合った収穫が見込めなくても、それでも、働き、耕さなければならず、耕しても、働いても、極、僅かな量の農作物しか生じないならば、疲労感は倍増し、働く意欲も失われましょう。

それでも、五年後には、飢饉が終わるとの、ヨセフの預言には、希望と勇気とが与えられたのではないでしょうか。

先の見えない事程、不安な事はありません。

先が見えるから、頑張れるのであり、耐えられるのであり、忍べるのではないでしょうか。

エジプト王国宰相ヨセフは、この点でも、エジプト王国民に希望と勇気とを与えていたのであり、エジプト王国民の離散を防ぎ、国土が荒れ放題になってしまうのを防いでいたのです。

とは言え、飢饉の激しさは、尋常ではなく、エジプト王国は衰え果ててしまいますが、七年間の飢饉に備えた、穀物の備蓄が、エジプト王国を守ります。

47:14 それで、ヨセフはエジプトの地とカナンの地にあったすべての銀を集めた。それは人々が買った穀物の代金であるが、ヨセフはその銀をパロの家に納めた。

先の七年間の大豊作の時期に、エジプト王国宰相ヨセフは穀物を、エジプト王国に備蓄しましたが、どのような方法で集めたのか、正確な処はわかりません。

エジプト王国で産出する穀物は、基本的にはエジプト王国民の所有であり、税金として、何%かを徴収し、それを備蓄したのでしょう。

その税率ですが、資料がないので、正確な事は言えませんが、古代においては、4、50%に達する事も、それ以上の地域もあったようであり、エジプト王国でも、普段はそれに近い税率で、徴収されていたのでしょう。

しかし、飢饉の到来を知らされており、更に高い税率で、徴収されたのではないでしょうか。

普段なら、不満の出る処でしょうが、未曾有の大豊作が七年も続いたのであり、エジプト王国民は、然程の税負担を感じずに、徴収に応じ、エジプト王国宰相ヨセフは、徴収した穀物を備蓄に回したようです。

更に、供給過剰は、価格を下げさせますから、余剰穀物は、エジプト国外に流出する処ですが、エジプト王国宰相ヨセフは、余剰の穀物を買い上げ、流出を防ぎ、国内備蓄に回したのではないかと考えられます。

手元にある程度の穀物を置いておくのは、人間の心理として当然としても、飢饉が来ると、判ってはいても、余剰分をどうするかで悩むのも、また、人間の心理なのではないでしょうか。

取って置いては、腐らせるかも知れないし、買い上げてくれるなら、売ってしまおう、と考えるのであり、無くなったら、売り上げた代金の銀で買えばいいや、と安易に考えるのが、人間の心理なのではないでしょうか。

勿論、心配性の人がいる事も事実であり、手元に蓄える人もいた事でしょうが、エジプト王国宰相ヨセフは積極的な政策として、高税率で穀物を徴収し、余剰穀物を積極的に、買い上げたのでしょう。

本格的な飢饉が到来し、一年目は、エジプト王国民は、それぞれが備蓄した穀物で、飢饉を乗り越えた事でしょう。

二年目以降は、エジプト宰相ヨセフに売った穀物の代金の銀で、エジプト王国宰相ヨセフから穀物を買い、飢饉を乗り越える事になりますが、非常に激しい飢饉であり、エジプト王国民の銀の蓄えも底を尽いてしまいます。

47:15 エジプトの地とカナンの地に銀が尽きたとき、エジプト人がみなヨセフのところに来て言った。「私たちに食物を下さい。銀が尽きたからといって、どうして私たちがあなたさまの前に死んでよいでしょう。」

エジプト王国民は、エジプト王国宰相ヨセフの下に来て、援助を求めますが、無償の援助には、功罪があります。

働く事が出来ない人には、何も持たない人には、無償で援助する事に依存ありませんが、財産を持っていながら、無償で政府に援助を求めると云うのは、如何な事でしょうか。

政府からの援助は、本当に困っている人々に届けるべきであり、怠け者や、狡賢い者が受け取ってはならないのです。

それが公正、公平、と云う事であり、見極めなければならない事でしょう。

エジプト王国宰相ヨセフは、エジプト王国民の持っている家畜に眼を留めます。

47:16 ヨセフは言った。「あなたがたの家畜をよこしなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き替えに与えよう。」

47:17 彼らがヨセフのところに家畜を引いて来たので、ヨセフは馬、羊の群れ、牛の群れ、およびろばと引き替えに、食物を彼らに与えた。こうして彼はその年、すべての家畜と引き替えた食物で彼らを切り抜けさせた。

このエジプト王国宰相ヨセフの政策、提案、苛酷なように聞こえますが、決して無慈悲な政策では、足元を見た厳しい提案ではありません。

飢饉の時に、家畜を養うのは、個人的には困難な事です。

自分たちの食い扶持を確保するのもやっとの時に、家畜の餌にまで手は回りませんから、売り飛ばしたり、屠殺して、食べてしまう処ですが、売ってしまえば、食べてしまえば、お仕舞いであり、飢饉が終わってからの、農耕再開の労働力に不足する事になってしまいましょう。

しかし、家畜を政府の管理下に置いたならば、大量の穀物を備蓄し、効果的に運用している、政府の立場であるならば、別の利用法、運用法の可能性がありましょう。

例えば、飢饉が終息した時に、即座に耕作出来るように、先行投資の意味で、農地を耕しておく事、干害に備えて用水路の整備事業を行なう、などの、公共事業に利用したのではないでしょうか。

エジプト王国民の所有する家畜を国有化する事で、労働力を効率的に配分する事が出来るのであり、飢饉からの立ち直りに、益となるのは、明白です。

ですから、17節の政策は、エジプト王国民の家畜を、一箇所に集める政策ではなく、家畜を登録し、そのまま、元の持ち主に貸与したと考えられ、効率的に労働力を分配するための政策と、考えられるのです。

貴重な労働力である家畜を遊ばせる事なく、また、苛酷にこき使って疲弊させてしまう事を防ぐ、妙案なのです。

こうして、エジプト王国民の所有していた家畜は、国有化され、飢饉終息後の備えとなるのです。

尚、「馬」が聖書に登場するのは、ここが最初です。

馬の原産地は、中央アジアの草原地帯と考えられ、エジプト王国で一般的になったのは、ヒクソス王朝時代、紀元前18世紀から紀元前16世紀頃と考えられていますが、

それ以前にも、富豪の象徴として、軍事力として、労働力として、エジプト王国で見る事が出来たようです。

47:18 やがてその年も終わり、次の年、人々はまたヨセフのところに来て言った。「私たちはあなたさまに何も隠しません。私たちの銀も尽き、家畜の群れもあなたさまのものになったので、私たちのからだと農地のほかには、あなたさまの前に何も残っていません。

47:19 私たちはどうして農地といっしょにあなたさまの前で死んでよいでしょう。食物と引き替えに私たちと私たちの農地とを買い取ってください。私たちは農地といっしょにパロの奴隷となりましょう。どうか種を下さい。そうすれば私たちは生きて、死なないでしょう。そして、土地も荒れないでしょう。」

手持ちの銀を使い果たし、所有していた家畜も、政府に引き取ってもらい、飢饉を凌ぎましたが、飢饉はまだまだ続きます。

前後関係の時間の流れから、1819節は、飢饉五年目前後の出来事と考えられましょう。

勿論、それぞれに、穀物の蓄え、銀の蓄え、所有する家畜の数もバラバラですから、16節のエジプト王国宰相ヨセフの政策も、19節のエジプト王国民からの提案も、一時、一斉に実施した訳ではないでしょうが、凡そ、この時期に、これらの政策が行なわれたのでしょう。

19節のエジプト王国民の提案は、苦渋の決断、提案だったのではないでしょうか。

農民が、農地を手放したなら、生きて行く術を捨てたに等しく、身売りしたならば、奴隷となったならば、自由はなく、苛酷な運命が待っているだけであり、普通なら、選びはしない、選択肢ですが、そうせざるを得ないまでに、逼迫、困窮していたのです。

苦渋の決断であり、提案ですが、しかし、エジプト王国宰相ヨセフへの信頼があったからこその、決断であり、提案だったのではないでしょうか。

有能であっても、横暴な宰相に、身を委ねる事は、出来ない相談なのではないでしょうか。

あの宰相に委ねる位なら、死を選ぶ、と考えるのでは、エジプト王国を捨て、新天地を探す、と考えるのではないでしょうか。

しかし、エジプト王国民は、総意として、エジプト王国宰相ヨセフに、身売りと、農地の買い上げを申し出たのです。

神様の導きがあっての事ではありますが、ヨセフの、エジプト王パロの夢の解き明かしがあり、ヨセフの解き明かしの通りに、大豊作が訪れ、大飢饉が襲って来ているのであり、エジプト王国宰相として、最善を尽くしている姿は、エジプト王国民から絶大な信頼を得ており、神の霊の宿っているヨセフに委ねるのが、一番、と考えるのは自然な流れでしょう。

47:20 それでヨセフはエジプトの全農地を、パロのために買い取った。ききんがエジプト人にきびしかったので、彼らがみな、その畑地を売ったからである。こうしてその土地はパロのものとなった。

47:21 彼は民を、エジプトの領土の端から端まで町々に移動させた。

こうして、エジプト王国の土地は、全て、エジプト王パロの物となり、家畜、土地、国民が、国有化され、エジプト王パロの支配が、エジプト王国の隅々にまで行き渡る事になったのです。

ヨセフがエジプト王国宰相の職に就いたのは、紀元前1884年頃と考えられますが、エジプト第十二王朝時代、紀元前1880年頃までは、エジプトは地方貴族、豪族の力が強く、エジプト王パロの支配権は、限定的、制限的であったようですが、紀元前1850年頃から、地方貴族、豪族の力は弱まり、エジプト王パロによる中央集権体制が確立していきます。

権力や富は、集中する傾向がありますので、エジプト王国宰相ヨセフの執政、政策と関連しているのかも知れず、エジプト王パロは益々栄え、地方貴族、豪族は衰退の一途を辿ったのであり、ヨセフがそのきっかけを作った、と考えても、強ち、間違いではなさそうです。

さて、エジプト王国宰相ヨセフが、エジプト王国民を移動させた理由ですが、穀物は各地に分散して備蓄されていましたから、その穀物配分の効率化のため、或いは、労働力の効率的な配分のため、離散した農民を、それぞれの地に戻すため、などが考えられますが、はっきりしません。

47:22 ただ祭司たちの土地は買い取らなかった。祭司たちにはパロからの給与があって、彼らはパロが与える給与によって生活していたので、その土地を売らなかったからである。

祭司は、エジプト王国国政に関わり、神意を伺い、エジプト王パロに助言を与える、特権階級であり、エジプト王パロから、給与が支給されていたので、飢饉の影響をもろに受けずに済み、家畜も、農地も手放さずに済んだようです。

しかし、税金が免除された訳ではなく、農地の収穫に対しても、それなりに課税され、他にも、例えば、人頭税など、エジプト王国民としての当然の納税義務は果たしたことでしょう。

47:23 ヨセフは民に言った。「私は、今、あなたがたとあなたがたの土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたへの種がある。これを地に蒔かなければならない。

47:24 収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなければならない。」

47:25 すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」

エジプト王国の農地をエジプト王パロのものとした、エジプト王国宰相ヨセフは、エジプト王国民に重要な提案をいたしますが、エジプト王国民にとって、相当有利な提案と言えます。

何故ならば、農作物への税率は、古代においては、4、50%に達する事も、それ以上の地域もあったようであり、20%は、当時としては、決して高くはなく、大変有利な、あり得ないような提案だ、エジプト王国民に対する、充分な配慮であり、身分上は奴隷、農奴であっても、搾取はなく、土地の売買や、移動は出来ませんが、働きが正当に自分の物となるのですから、頑張りがいがある、と云う事です。

どんなに汗水流して働いても、生活するにギリギリの物しか自分のものにならないなら、働き甲斐、工夫のし様がありません。

エジプト王国宰相ヨセフの提案は、20%は痛いけど、残りは自分のものになるのであり、そして「畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧」のため、との配慮を見せているのであり、エジプト王国民もまた、「あなたさまは私たちを生かしてくださいました」と、エジプト王国宰相ヨセフの政策を最大限に評価しているのであり、エジプト王国民の、エジプト王国宰相ヨセフに対する、評価の高さ、信頼の大きさと、エジプト王国宰相ヨセフの政策を、エジプト王国民が充分理解し、評価している点は重要です。

往々にして、為政者と民衆の間には、乖離があるものです。

人間は、客観的に見る事、客観的に判断する事が苦手です。

どうしても、主観的になりがちですが、エジプト王国宰相ヨセフは、私利私欲を捨て、エジプト王国のための、エジプト王国民のための、最善策を模索し、提示し、エジプト王国民も、エジプト王国宰相ヨセフの政策を理解し、受け入れ、従ったのです。

未曾有の飢饉と云う国難を乗り越えるためには、思い切った政策が必要であり、それを全面的に支持し、従う時、国難を辛うじて、乗り越えられるのです。

エジプト王国宰相ヨセフの執った政策は、単に、エジプト王パロへの財産集中、権力集中策ではなく、政治改革、社会改革、税制改革であり、社会主義的側面を持つ政策であり、地方貴族、豪族の力を削ぎ、エジプト王パロを頂点とする、政治機構を構築し、資産、家畜、土地、国民を国有化すると云う社会改革であり、税率20%を掟とする税制改革なのです。

47:26 ヨセフはエジプトの土地について、五分の一はパロのものとしなくてはならないとの一つのおきてを定めた。これは今日に及んでいる。ただし祭司の土地だけはパロのものとならなかった。

こうして、エジプト王国宰相ヨセフの働きにより、エジプト王国の基礎が固められ、エジプト王国の税制が制定されたのです。

この後、エジプト王国が430年も安定しているのは、エジプト王国宰相ヨセフの働きと断言して、過言ではないのです。

【適応】

エジプト王国宰相ヨセフの政策、改革を、そのまま、現代に適応すべき、と教えるものではなく、また、社会主義を奨励しようとするものでも、一人の強力な指導者の下での、政治体制を推奨するものでもありません。

エジプト王国宰相ヨセフと、エジプト王国民との関係は、唯一、創造者なる神様と、被造物なる神の民との関係として見る必要がありましょう。

生きるためには、お金が必要であり、家畜が示唆する、資産が必要であり、農地が示唆する、職業から、生きるための必要を手に入れるのであり、そして、自分自身を損なわないよう、腐心するのですが、それらも大切ではありますが、穀物、食料がなければ、お金も、資産も、農地も、自分自身も、意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

神様は、エジプト王国民に、段階的に、必要なものは何か、生き抜くために必要なものは何かを教えているのではないでしょうか。

お金は、直ぐに底を付いてしまいます。

家畜は、役に立ちもしますが、時に、余計な食い扶持となり、手枷足枷になりかねません。

農地も、飢饉では、何も産出せず、役に立ちはしません。

自分自身も、自然の産物を消費する事で、生きながらえさせているのであり、自然の産物に依存する存在でしかないのです。

お金を神様に明け渡し、神様から糧を得、家畜を神様に明け渡し、神様から糧を得、農地を神様に明け渡し、神様から糧を得、自分自身を神様に明け渡し、神様から糧を得て、生きて行くのです。

お金、資産、働き、自分自身を神様に委ね、神様によって養っていただくのです。

お金がなくなり、資産がなくなり、働きがなくなり、自分自身を明け渡したら、何が残るかといえば、神様との関係のみが残り、神様によって生かされている事を明確に知るのではないでしょうか。

七年の豊作、七年の飢饉は、人間は神様によって養われている事を教え、人間と神様との関係を、正しく知るための教えなのです。

一億円は、端金(はしたがね)だと、豪語した人がいますが、五十億円相当の資産を持っていても、命と何の関係もないのです。

莫大な資産を持ち、幾つもの社長を兼務し、支配の頂点に立っても、命とは無関係であり、誰もが、漏れなく、神様に養われているのであり、この事を知るのが、人間にとって何よりも、重要、必要、不可欠な事なのです。

ルカの福音書1216節、新改訳第3版は139ページ、新改訳2017141ページ「12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

神様に養われている事を知る事が、全て、と言っても過言ではないのです。

けっして、お金は必要ないとか、財産を持つ事が悪いとか、仕事に生きがいを見出すのは、プライドを持つのはおかしいとか、自分を大切にしてはだめだとか言っているのではありません。

それらを、神様との関係で、正しい位置に収めればよいのであり、神様に先んじたり、神様より重要視したりしては、神様は悲しまれます。

私たち、神の民に必要なのは、神様との関係を正す政策であり、改革なのです。

何より、聖霊様の助けが必要であり、それでも、一朝一夕にはまいりません。

日々に、神様との正しい関係を願ってこそです。

そして、最後に、エジプト王国民は本当に、全てを失ったかを確認して終わりたいと思います。

お金・・・なくなりましたが、日常の経済生活に、支障はありませんでした。

家畜・・・自分のものではなくなりましたが、今までどおりに使えたのです。

農地・・・これも自分のものではなくなりましたが、これも今までどおりに使えたのであり、自分自身・・・これも、名目上はエジプト王パロの奴隷となったのですが、収穫の五分の四は、自由に使えるのであり、家族を養うに過不足ない収入が保証されたのです。

結局、見掛けは、今までと変わりませんが、エジプト王パロに代わって、管理する、

エジプト王パロなら、どうされるかを考えて行動するのであり、全ての持ち主はエジプト王パロであり、パロが全責任を持ってくださる体制に代わった、と云う事なのです。

神様に委ねる、と云うのは、失う事ではなく、神様が責任を持ってくださる、安心、安全が保障される、と云う事なのです。

ここにおられる皆様が、この安心、安全に入れる事を願ってやみません。

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聖書箇所:創世記471節から12節              2018-6-17礼拝

説教題:神の民の働き・・・祝福を与える事

【導入】

前回、身分を明らかにする事について確認しましたが、「羊飼い」である事の告白は、定住地を持たない、放牧生活者である事、流浪の民である事の告白であり、神様の守りと導きを、より強く体験する職業である、と云う事を確認しました。

加えて、エジプトに於いて「羊飼い」は、忌み嫌われる職業であり、有形無形の不利益を被る告白である事も、確認しました。

しかし、それは、イスラエル人の特殊な民族性、即ち、「神様に選ばれた民」である事を自覚するに益となり、イスラエル人の特殊な民族性、即ち、「世界を祝福する民」である事を保持するにも益となる事を確認しました。

益も、不利益もある訳ですが、特に重要なのは、区別する事であり、違いがある事を自覚し、相手にも知らせる事です。

しかし、だからと言って、相手を差別したり、関係を断つ事を奨励してはいません。

時には、関係を断たなければならない場合もあるでしょうが、神の民がエジプトに置かれた意味、しかも、辺境の地ゴシェンにおかれた意味も考えなければなりません。

この世と、深く関わってはならないけれども、全く、関わらないのも、問題なのです。

何故ならば、この世は、自分の力、知恵で、真の神様を知る事が出来ないからであり、神様の祝福を受けている事、或いは、神様の寛容、忍耐、憐れみで、存在させて頂いている事を知る由がないからです。

人間は、神様の恵みで、生かされているのであり、太陽の恵み、雨の恵み、大地の恵み、自然の恵みで生かされているのであり、神様が人間に「愛」を与えられたので、不完全ではありますが、お互いを愛する事が出来、お互いを必要とし、助け合って生きて行けるのです。

その事を知らせるのが、神様に選ばれた、神の民の務めであり、神様の守りの中で生かされている、「羊飼い」の務めなのです。

ゴシェンの地に寄留しても、その務めは変わりません。

神様に選ばれて、神の民となったイスラエル一族のなす事は、差別を恐れて、小さくなって暮らす事ではなく、世の民との違いを自覚し、特別な祝福を受けている事を自覚し、世に祝福をもたらす存在である事を自覚して、そのように生きる事なのです。

【本論】

47:1 ヨセフはパロのところに行き、告げて言った。「私の父と兄弟たちと、羊の群れ、牛の群れ、そして彼らのものすべてがカナンの地からまいりました。そして今ゴシェンの地におります。」

ヨセフは、二十二年振りの父ヤコブとの再会を果たし、喜びの興奮の余韻の冷めやらぬ中で、エジプト王パロに、報告を致します。

ヨセフは、エジプト王パロに任命されて、エジプト王国の宰相になったのであり、王位以外は、全てヨセフに任され、ヨセフの采配に委ねられていましたが、ヨセフがエジプト王国の宰相に任じられ、九年が経過し、一切の落ち度も、不手際もなく、完全な信頼を得ていましたが、ヨセフは、常に分を弁え、報告、連絡、相談を省く事はしなかったのです。

普段は冷静沈着、的確な行動を旨とする人でも、何かの事で、感情が昂ぶった時には、或いは、落ち込んでしまった時には、普段通りの事が出来ず、省いてしまったり、抜けてしまったり、忘れてしまう事が起こってしまうものですが、創世記4517節以降に記されている通り、エジプト王パロから、直接の指示を受け、ヤコブ一族がエジプトの何処に住もうとも構わない、との許可を得てはいても、ヨセフは、エジプト王パロの完全な全権委任を受けていても、報告を怠らなかったのです。

これはとても重要な事です。

逐一、都度、報告する必要はありませんが、大きな節目では、報告すべきでしょう。

しかし、逆をやってしまうのが、人間なのです。

どうでもよい事を、些事を報告し、失敗の報告を先延ばしにしてしまう、改竄、粉飾してしまう、或いは報告しない選択をする事もある。

順調な場合は、手柄は、時機を見て、簡潔に、大きな変化は、失敗は、即時に、詳細に、であり、ヨセフは、ヤコブ一族のエジプト入りを即座に、状況を詳細に、エジプト王パロに報告します。

しかし、ここにもヨセフの知恵が遺憾なく発揮されています。

今ゴシェンの地におります」との報告は、誘導的であり、パロに「ゴシェン」を印象付ける意図を込めた報告なのです。

47:2 彼は兄弟の中から五人を連れて、パロに引き合わせた。

五人を連れて」と訳されている部分を、新共同訳聖書は「五人を選んで」と訳していますが、直訳は、「隅から五人を取り出し」であり、「特に優れた者たちを選んで」の意味ではないか、と考えられます。

ヨセフは、どのような意図の上で、五人を選んだのでしょうか。

年長者五人、でしょうか、若者五人、でしょうか、ヨセフなりの考え、基準で選んだ五人でしょうか。

ともかく、エジプト王パロに対する配慮の上での選考であり、エジプト王パロが、良い印象を持つような人物、一般的な社会常識を、常識的な礼儀を持った人物を、想定外の事態にも、大人の対応が出来る、冷静沈着な人物を選んだのではないでしょうか。

エジプト王パロは、ヤコブ一族を歓迎しているのですから、ヤコブ一族が、エジプト王パロに対して、礼を欠くような所作が多少あったとしても、まあ、大目に見てもらえるでしょうし、不穏な事にはならないでしょうが、注意し、慎重に人選をするに越した事はありません。

この点で、短気な、狡賢い、策士のシメオンとレビが除外された、と考えるのは、そして、この一連の流れの中で、大きな働きをしたユダが選ばれている、と考えるのは行き過ぎでしょうか。

しかし、普段の言動が、一番、参考になるのではないでしょうか。

何かに付けて、大騒ぎするような人物に、秘密を要する事は任せられません。

直ぐに、不安になり、右往左往し、助けをもとめるような人物にも、大切な事は任せられません。

何事も、一人で抱え込むような人物にも、重要な事は任せられません。

寡黙でありつつ、しっかりとした考えを持ち、言うべき時には意見を述べ、慎重でありつつ、的確な判断と大胆な行動が出来、責任を自覚しつつ、勝手な判断をせず、指示を仰ぐ事が出来る、謙遜な人物が選ばれるのではないでしょうか。

47:3 パロはヨセフの兄弟たちに尋ねた。「あなたがたの職業は何か。」彼らはパロに答えた。「あなたのしもべどもは羊を飼う者で、私たちも、また私たちの先祖もそうでございます。」

エジプト王パロの質問に、ヨセフの兄弟たちは、ヨセフに言い含められた通りの返答を致します。

加えて、ヨセフの兄弟たちは、エジプト王国には、長居する気がない事にも言及いたします。

47:4 彼らはまたパロに言った。「この地に寄留しようとして私たちはまいりました。カナンの地はききんが激しくて、しもべどもの羊のための牧草がございませんので。それでどうか、あなたのしもべどもをゴシェンの地に住ませてください。」

エジプト王国に来たのは「飢饉を避けるため」であり、飢饉が過ぎ去るまでであり、「羊のための牧草を得るため」であり、「寄留するため」であり、定住する気がない事を言明いたします。

そして、重要な事ですが、エジプト王パロが、ヤコブたちの滞在地を指定、指示する前に、「ゴシェンの地」に寄留する事の許可を求めるのです。

エジプト王パロは、ヨセフに、ヤコブ一族は何処となりと住んでよい、と言いましたが、エジプト王パロには、エジプト王国民に対する配慮も、あるでしょうし、エジプト王パロには、パロなりの考えがあるでしょうから、エジプト王パロの考えが示されたならば、それを覆すのは、多少の困難が伴いましょう。

それで、ヨセフは布石を打ち、先手を打ち、ヨセフの兄弟たちも、ヨセフの指示の通りに、寄留したい土地を申し述べるに至るのです。

前回、説明したとおり、ゴシェンは国境の地域であり、外国人が多く住む地域であり、エジプト王パロの住居と思しき地域から離れており、エジプト王国民に対しても、実質的な影響はありません。この、連携プレイ、見事です。

47:5 その後、パロはヨセフに言った。「あなたの父と兄弟たちとがあなたのところに来た。

47:6 エジプトの地はあなたの前にある。最も良い地にあなたの父と兄弟たちとを住ませなさい。彼らはゴシェンの地に住むようにしなさい。もし彼らの中に力のある者がいるのを知っていたら、その者を私の家畜の係長としなさい。」

6節の「エジプトの地はあなたの前にある」を、新共同訳聖書は「エジプトの国のことはお前に任せてある」と訳し、エジプト王パロは、ヨセフの采配を全面的に、肯定、支持する事を宣言します。

また、「ゴシェンの地に住むようにしなさい」を、新共同訳聖書は「ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう」と訳し、ここでも、エジプト王パロは、積極的に判断する事、直接的に指示する事を避け、ヨセフの采配を全面的に、肯定、支持する事を宣言します。

そして「もし彼らの中に力のある者がいるのを知っていたら、その者を私の家畜の係長としなさい」と、ヨセフの兄弟たちを、官吏に登用するとの言質を発するのです。

エジプト王パロとの謁見により、得た言質ですが、これはヨセフ故の、好意の表れでしょうが、ヨセフの計画通り、ヨセフの兄弟が、エジプト王パロの信頼を得た事の証拠です。

ヤコブ一族を代表するのではありますが、着飾る必要も、上辺を繕う必要もありませんが、それなりの人格、人徳を持った人物でなければならないのです。

そして、6節から窺える事は、エジプトでは、羊飼いは忌み嫌われている、と申し上げましたが、エジプト王パロは、エジプト王国民程には、羊飼いを忌み嫌ってはいないようであり、ゴシェンは、王室専用の牧場、所謂、御料牧場を置く程に、牧畜に適した土地であろうと、想像出来る事です。

特に、エジプト王パロが、エジプト王国民程には、羊飼いを忌み嫌っていない、と云うのは重要な事です。

支配者の趣味趣向、好き嫌いは国民に、そして組織に影響します。

支配者、中心的指導者が、ゴルフ好きだと、ゴルフ好きが取り巻くようになるでしょうし、支配者、中心的指導者の好き嫌いに合わせた、取り巻き連中、イエスマンばかりの組織になり易く、

支配者、中心的指導者に忖度する組織の弊害が計り知れないものである事は、説明するまでもないでしょう。

エジプト王と、エジプト王国民との間には、適度な距離があったのであり、エジプト王国が、健全な政治体制であったと思われ、だからこそ、ヨセフの家族を受け入れるを得たのでしょう。

47:7 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。

ヨセフの兄弟たちを先に、ヨセフの父を後にした理由は述べられていません。

ヨセフなりの、何らかの配慮によるものでしょうか、当時の慣習、エジプトの慣例なのかも知れませんが、問題は、重要な点は、時候の挨拶や、当たり障りのない「あいさつ」をしたのではなく、新共同訳聖書や口語訳聖書、新改訳2017に訳出されているように「祝福した」のです。

一般的なあいさつ以上のものであり、神の民の働き、そのものです。

アブラハムの子孫の働きは、世界を祝福する、と云う働きであり、それに尽きます。

アブラハムの子孫の働きは、神様からの祝福を取り次ぐ、と云う働きであり、真の神様、天地、万物を「無」から創造された、唯一の神様の存在を知らせ、神様の義、裁きを知らせ、神様の愛、恵み、憐れみ、赦しを知らせるのが、使命であり、罪の世に、神様の存在を好き勝手に想像する民に、自分たちに都合の良い、神を作り上げる民に、呪いではなく、「神様の祝福があるように」と祈るのが、アブラハムの子孫の働き、使命なのです。

形式的に、「神様の祝福があるように」との言葉を述べるのではなく、「神様の祝福があるように」を実現させるために、即ち、神様からの祝福を受けられるように、神様との関係の修復、回復、和解のために、東奔西走するのが、アブラハムの子孫の働き、使命なのです。

47:8 パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、幾つになりますか。」

エジプト王パロの質問は、ヤコブの生きた時間的長さ、量を問うものですが、この質問の背景には、当時のエジプト人の寿命が関係していましょう。

ヤコブの年齢は、当時のエジプト人一般の寿命を大きく上回るものであり、エジプト王パロは、ヤコブを聖なる人物として扱ったのでは、エジプト王パロは、ヤコブを最大限の敬意をもって迎えたのでは、その敬意が、質問となって現れたのではないでしょうか。

47:9 ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」

エジプト王パロの、量的な質問に対して、ヤコブは質的な回答を致します。

ヤコブは、先祖たちとの比較に於いて、「わずか」と感じたのですが、アブラハムの齢は、百七十五歳であり、イサクの齢は、百八十歳です。

アブラハムを遡ると、アブラハムの父テラの齢は二百五歳であり、テラの父ナホルの齢は、百四十八歳であり、ナホルの父セルグの齢は、二百三十歳であり、セルグの父レウの齢は、二百三十九歳であり、レウの父ペルグの齢は、二百三十九歳であり、ヤコブは、この後十七年生きながらえ、その齢は百四十七歳であり、確かに、決して長い、とは言えません。

しかし、問題は、神様との関係ではないでしょうか。

二百年、三百年生きながらえても、神様との関係が希薄、皆無であったなら、意味はなく、罪を積み重ねるだけの人生であるなら、意味がない処の話ではなくなりましょう。

逆に、二十年でも、三十年でも、神様との関係が密であり、常に神様に歩調を合わせた人生であったなら、意味と意義のある生涯だった、と最高の評価を得るのではないでしょうか。

ヤコブは、自分の生涯は「ふしあわせ」であったと、総括していますが、自己憐憫の、感傷的な意味ではなく、自らの責任を自覚した告白でしょう。

兄エサウの弱みに付け込み、父イサクを騙した事、結果、家族の下を、離れなければならなくなった事、そして、伯父ラバンの策略に合い、辛酸を舐めた事、最愛の息子ヨセフと引離された事、最愛の妻ラケルを失った事、などの苦労の数々でしょう。

私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで」との告白は、エジプト王パロの前での、謙遜と同時に、人生を振り返って見ての、知恵と策略に頼った生き方に対する、偽らざる気持ちであり、疲れる人生であったと、回顧しているのでしょう。

47:10 ヤコブはパロにあいさつして、パロの前を立ち去った。

この「あいさつ」と云う言葉ですが、新共同訳聖書も「挨拶」と訳していますが、口語訳聖書、新改訳2017は「祝福」と訳しており、「祝福」の意味で理解するのが良いと思います。

赤の他人に祝福を宣言出来るのは、神の民の特権であり、会った時に、祝福を宣言し、別れる時にも、祝福を宣言するのが、神の民の務めなのではないでしょうか。

もしも、祝福を受けるに相応しくない人物であるなら、発した祝福は、戻って来ますので、誰にでも、惜しみなく、遠慮なく、祝福を宣言したいものです。

47:11 ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。

ラメセス」は、「ゴシェン」の地の別名とも、ゴシェンの北、ナイル川デルタ地帯の東の地域、との説もありますが、牧畜、農耕に適した土地である事に、間違いありません。

この「ラメセス」との地名は、紀元前13世紀の、ラメセス三世に由来するとの見解が一般的ですが、土地の名前を王が冠する事もあるので、断言は出来ません。

ヤコブ一族は、ヨセフの計画通り、エジプト王パロから、牧畜に適した寄留地を与えられ、エジプト王国の宗教、文化、習慣、影響を受け難い土地に住む事を得たのです。

47:12 またヨセフは父や兄弟たちや父の全家族、幼い子どもに至るまで、食物を与えて養った。

ヨセフが、ヤコブ一族を養ったように記されていますが、実際のところは、エジプト王国が、ヤコブ一族を養ったのであり、エジプト王パロの命令を、ヨセフが実行したのである事は、確認するまでもありません。

こうして、ヤコブ一族は、この後、五年に亘る未曾有の大飢饉を乗り越える手立てを得たのでした。

【適応】

ヤコブ一族は、ヨセフの働きを基として、エジプト王パロの好意を得て、七年に及ぶ大飢饉を逃れる手立てを得ました。

表面的には、ヤコブ一族は、エジプト王国から、恵み、言い方を変えるなら、祝福を与えられた形ですが、実際は、神様がヤコブ一族を守るために、エジプト王国に七年の大豊作をもたらしてくださったのであり、ヨセフを遣わして、大豊作の実を蓄えさせたのであり、七年に亘る飢饉の備えをしてくださったのであり、神様の恵み、祝福を与えられたのは、エジプト王国なのです。

もう少し、言い方を変えて言うならば、ヤコブ一族を守るための、謂わば、道具として用いられたのがエジプト王国なのであり、ヤコブ一族に与えられる恵み、祝福のお零れを受けたのが、エジプト王国なのです。

ヨセフが、エジプト王パロの夢の解き明かしを行った際に、ヨセフは、豊作も飢饉も、神様の定めであり、神様のなさる事である、と断言しましたが、エジプト王パロは、ヨセフの解き明かしを信じ、ヨセフの解き明かした神様を信じたので、道具に過ぎないエジプト王国ですが、神様のご計画に用いられ、神様からの恵み、祝福を受け、大豊作を無駄にせず、エジプト王国の存続と、発展と云う、この世的な祝福を得る事が出来たのです。

そして、ヤコブ一族を快く受け入れたので、ヤコブから、霊的祝福を得られたのです。

ヤコブの祝福の言葉は、偶像を礼拝する、自らを神の子と名乗るエジプト王パロには、意味のある言葉として受け止められなかったかも知れませんが、祝福の宣言は、相手の状態には、関わりなく発しなければならず、発したならば与えられ、間違いなく届きます。

しかし、効力を発揮するか否かは、別であり、与えられ、届いても、受け取り、受け入れなければ、流れ去ってしまいますが、流れ去る事を心配する必要はありません。

ヤコブの使命、働きは、相手を祝福する事であり、神の民の使命、働きは、この罪の世に祝福をもたらす事であり、相応しいか否かを吟味する必要は、判断する必要はないのです。

そして、神様からの祝福をもたらす存在が、この罪の世に存在しているから、この罪の世は、神様の祝福のお零れを受け、存続し続けているのであり、滅ぼされないで済んでいるのです。

私たちは、クリスチャンは、この世の状態を憂う前に、この罪の世を祝福する存在なのである事を自覚し、積極的に祝福しなければなりません。

親族や、知り合いのために、祝福を祈るのみならず、この罪の世のためにも、敵のためにも、異教徒のためにも、祝福を祈るのです。

それは、神様から期待されている生き方であり、働きであり、存在理由です。

この大切な働きを、聖霊様の助けによって、全うしようではありませんか。

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聖書箇所:創世記4628節から34節              2018-6-10礼拝

説教題:羊を飼う者たち

【導入】

大分、以前に放送されていたテレビ番組に、生き別れになっている、親しい人との、再会を助けるテレビ番組がありましたが、今も、似たような内容のテレビ番組が、放送される事があるようです。

本人同士も、感極まり、見ている方も、良かったねえ、と涙を誘われます。

お世話になった人、助けてもらった人、懐かしい人に会いたい気持ちはあっても、公に出来ない事情がある場合もあるでしょうし、名乗り出られない事情や、過去を忘れたい人も、過去と決別したい人もいらっしゃるでしょう。

ヤコブとヨセフの再会は、本人は勿論の事、エジプト王パロも、エジプト王国の官僚たちも、エジプト王国の国民も喜んだ事ですが、ヨセフの兄たちにとっては、過去の悪事が暴かれる可能性がある事であり、喜んではいられません。

ヨセフはどんな報復を考えているのだろうか、少なくとも、ただでは済まされないだろうとの、覚悟のようなものは持ったのではないでしょうか。

ヨセフの兄たちは、不安な気持ちを抑え、カナンを離れ、ヤコブは喜びを胸にして、エジプト王国に向かい、創世記45章9節、10節、新改訳第3版は84ページ、新改訳201787ページ、に「ためらわずに私のところに下って来てください。45:10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります」と記されているヨセフの指示の通りに、ゴシェン入りを果たし、エジプトでの新しい生活が始まりますが、心しておかなければならない事があります。それは何でしょうか。聖書を見てみましょう。

【本論】

46:28 さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わしてゴシェンへの道を示させた。それから彼らはゴシェンの地に行った。

28節の前半を、新改訳2017は「さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わして、ゴシェンへの道を教えてもらった」と訳し、ヨセフに、ゴシェンまでの道案内を依頼するために、ユダを遣わしたように訳していますが、新共同訳聖書は「ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした」と訳し、口語訳聖書は「さてヤコブはユダをさきにヨセフにつかわして、ゴセンで会おうと言わせた」と訳し、ヨセフと会うための使者として、ユダを遣わしたように訳しています。

どちらの訳も、間違いではありませんが、ここで言わんとしている事は、ユダが、父ヤコブの信頼を得ていた事、と見て、間違いなさそうです。

ユダは、エジプト王国の宰相に対して、ヤコブからの使節、スポークスマンの役割を果たしたのであり、公的な礼儀として、ヤコブ一族がゴシェン入りした事を報告させ、合わせて、個人的な事として、ヨセフに、父の下に会いに来るようにとの、招きを伝えさせたのです。

巻末の地図、新改訳第3版は「出エジプトの経路」、新改訳2017は「地図3:出エジプトの経路」をご参照願います。

ゴシェンは、エジプトの東、ナイル川の東、シナイ半島の西にある、広大な、肥沃な地帯であり、住居と、農耕、牧畜に適した土地ですが、主に、外国人が住み、暮らしていたようです。

当時の、エジプト王国の中心がどこかには、諸説ありますが、ナイル川の西にあったようであり、ナイル川とゴシェンは、外国の進入に対する、敵対勢力に対する、自然の堀と緩衝地帯の役割を果たしていたのかも知れません。

そして、古代、政治と宗教は、切り離せない関係にありますので、また、ヨセフは「オンの祭司ポティフェラの娘」を娶っていますので、ゴシェンの南、ナイル川の上流にある「オン」の辺りに政治の中心、エジプト王パロの邸宅が在ったのではないか、そして、ヨセフの別宅がゴシェンにあったのではないかと、思われます。

尚、「パロ」とは「大きな家」の意味であり、大邸宅に住む者に対する通称です。

46:29 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。

ヤコブとヨセフの再会は、凡そ二十二年振りですから、感涙に咽(むせ)び、言葉もなく、暫し、無言で抱き合った訳なのです。まあ、こんな場面では、言葉は要らないでしょう。

英欽定訳では、ヤコブが、ヨセフに抱きついた、として訳していますが、当時の父の権威と云うものを考え合わせると、父が息子に抱きつくと云うのは不自然ですが、年齢差、体格差を考えると、即ち、立つのがやっとの老人に、がっしりした壮年が抱きつくのは無理があり、老齢の父が、壮健な息子に抱きついたと考えても、不自然ではなさそうです。まあ、二人が抱き合った、お互いを抱きしめた、とするのが、一番自然なのかも知れません。

46:30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」

ヤコブは、愛する息子ヨセフを失ってからは、創世記3734節、35節、新改訳第3版は68ページ、新改訳201770ページに、「幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。37:35 彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい。」と言った」と記されている通り、泣き悲しむ、毎日であり、この世に、良い事は何も無い、と、生きる事に意味を見い出せず、絶望しており、死んで息子に会いたい、死にたい、早く死にたい、と、死を、泣き悲しみ、苦しみの先に置いていましたが、愛する息子ヨセフと再会を果たした瞬間に、この世に思い残す事はなにもない、と、この世に満足したのであり、死を最高の喜びの先に置いたのであり、死に対する考え方が、180度変わったのです。

この世への絶望から、死を願うのではなくなり、苦しみからの脱出としての、死ではなくなり、この世で満足を得、喜んで死を迎えられる境地に達した、と云う事なのです。

人には、この世でなすべき、神様から与えられた働きがあり、死んでからなすべき、神様から与えられる働きがあります。

どちらも、神様から与えられる働きであり、遜色、優劣、軽重、大小はありません。

この世の働きから、或いは、苦しみ、悲しみ、困難からのがれるための道が「死」なのではありません。自ら「死」を選んではなりませんし、死は、何も解決しません。

この世の働き、苦しみ、悲しみ、困難を経てこそ、訓練を受けるからこそ、死んでからの、新しい働きに益となるのです。

但し、この世の働きは、完成する事が目的ではありません。

どう取り組んだか、プロセスが大切であり、子どもには子どもの、大人には大人の、老人には老人の、男性には男性の、女性には女性の、健者には健者の、病者には病者の、働きがあるのであり、皆が、神様から同じ働きを与えられるのではなく、神様からの期待値も千差万別です。神様が与えられた働きに、どう応答したかが重要なのです。

46:31 ヨセフは兄弟たちや父の家族の者たちに言った。「私はパロのところに知らせに行き、申しましょう。『カナンの地にいた私の兄弟と父の家族の者たちが私のところに来ました。

ヤコブ一族は、ヨセフの親族であり、エジプト王国やエジプト王パロと、ヤコブ一族とに、直接の関わりは、利害関係はありません。

しかし、ヨセフの働き故に、ヨセフのエジプト王国に対する貢献の故に、ヤコブ一族は、エジプト王国、エジプト王パロの庇護を受けるのであり、ヨセフの家族である事が、唯一の関係性であり、エジプト王国が、エジプト王パロが、ヤコブ一族を迎える理由なのです。

エジプト王国が、エジプト王パロが、ヤコブ一族を迎え、保護しても、エジプト王国に、エジプト王パロに何のメリットがある訳ではなく、寄食者、外国人が増えるだけであり、デメリットしかありません。

それでも、エジプト王国が、エジプト王パロがもろ手を挙げてヤコブ一族を歓迎したのは、ヨセフの、エジプト王パロの見た夢の解き明しが、如何に劇的であったか、の証拠であり、ヨセフの働きが、如何に大きかったか、を物語っていましょう。

一国の盛衰は、或いは、危機からの脱出は、突出した指導者、優秀なブレーンにかかっているのであり、夢の正確無比な解き明かしと云い、具体的、現実的な対策案と云い、ヨセフは他を寄せ付けないのであり、どんな代償を払っても、ヨセフを手放す訳にはいかず、ヨセフを引き止めるための、ヤコブ一族の扶養は、取るに足りない些事なのです。

この判断と決断こそ、全体を見通し、大局的な判断をし、揺るぎ無い決断を下す事こそ、一国の王に求められる資質なのであり、目先の小さな利害で、臍を噛むような事になってはならないのです。

46:32 この人たちは羊を飼う者です。家畜を飼っていた者です。彼らは、自分たちの羊と牛と彼らのものすべてを連れて来ました。』

ヨセフは、父ヤコブや兄たちに「羊飼い」である事を自覚するように、言い含めます。

ヤコブたちに、羊飼いである事が問題になった事も、問題を意識した事もなかったでしょうが、世の中は広く、複雑であり、思いもよらない事が問題となる事もあるのです。

教会の常識が、この世の常識ではない事があるのであり、この世では問題にならなくても、教会では大きな問題となる事もあるのです。

世界中の国には、地域には、文化には、様々な禁忌規定があり、意味のよく分からない禁忌規定があり、不衛生な時代、衛生概念の希薄な時代、医学未発達の時代の名残の部分もありますが、イスラエル人の禁忌規定は、神様から与えられた、禁忌規定であり、

聖い神様に対する民として生きるための規定であり、「穢れ」に関係する規定であり、イスラエル人特有の、ユダヤ教独特の禁忌規定です。

意味があるから従うのではなく、神様の命令だから、喜んで従うのです。

そして、エジプトにも禁忌、忌み嫌うモノがあり、その一つが羊であり、羊を飼う者を忌み嫌ったのです。

理由は解りませんが、羊を忌み嫌い、羊の肉を食し、羊の乳を飲み、羊と非常に密な生活をし、羊を生贄にする人々をも、忌み嫌ったのです。

ヤコブ一族には、何でもない事ですが、エジプトでの生活では、大問題となり得るので、ヨセフは、父ヤコブや兄たちに「羊飼い」である事を自覚するように、言い含めるのです。

ゴシェンは、エジプト王国の辺境の地であっても、エジプト王国の支配下にあり、ゴシェン入りした以上は、エジプト王国の庇護を受ける以上は、エジプト王パロに挨拶をしない訳には参りません。

46:33 パロがあなたがたを呼び寄せて、『あなたがたの職業は何か』と聞くようなときには、

46:34 あなたがたは答えなさい。『あなたのしもべどもは若い時から今まで、私たちも、また私たちの先祖も家畜を飼う者でございます』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住むことができるでしょう。羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌みきらわれているからです。」

先程、エジプト人が、羊を、羊を飼う者を忌み嫌った理由は、解らないと申しましたが、エジプト人は、浄、不浄について、かなり極端な考え方を持っていたようであり、エジプト人は、民族的、宗教的、文化的に気位が高く、外国人を、異宗教、異文化の故に、忌み嫌ったようですが、他に加えて、考えられる理由としては、定住の民には、遊牧の民、或いは隊商、旅芸人、ジプシーのような人々を見下し、軽蔑する傾向があるようですが、エジプトでも、遊牧民を、軽蔑し、特に、羊と関係して、羊飼いを忌み嫌ったのかも知れません。

しかし、これは、ヤコブたちにとっては有利に働きましたし、ヨセフは、これらを自覚、利用して、また、ヨセフには、契約の民である事の、明確な自覚があったのであり、敢えて、便利な、エジプトの中心近くではなく、辺境の地ゴシェンに住む事になるよう、工作したのではないでしょうか。

それは、エジプトの宗教、文化との混交、同化を防ぐためであり、エジプト人の生活に染まらないため、埋もれさせないためであり、馴染みのない都市生活での、有形無形の損失と、イスラエルに相応しくないモノを取り入れないためであり、イスラエル人の固有性を維持するためであり、だからこそ、敢えて、「羊飼い」である事を、強く、印象付けるよう、工作したのではないでしょうか。

【適応】

今日の説教のタイトルを「羊を飼う者たち」としましたが、アブラハム、イサク、ヤコブと続く人々は、神様の命令で、定住地を持たない、転々と移動する流浪生活を送って来ました。

定住地を持たないと云う事は、必然的に農耕から糧を得る生活ではなく、放牧、牧畜から糧を得る生活になります。

農耕でも、牧畜でも、人間の創意工夫以上に、神様の守りが必要不可欠ですが、流浪生活は、より一層、神様の守りを必要とし、神様の守りを実感するのではないでしょうか。

しっかりした家屋での生活と、テント生活を比べたならば、その差は歴然でしょう。

ご近所との関係も、助け合える環境と、全てを自前で対応しなければならない環境とでは、その苦労は歴然でしょう。

ですから、ヤコブたちに対して「羊を飼う者たち」との呼び名を与える事は、ヤコブたちが「神様に従う者たち」である事を表明している事であり、神様に従う者たちが、この世で如何に生きるべきかを教えている、と見なければならないのです。

導入で、「ヨセフの指示の通りに、ゴシェン入りを果たし、エジプトでの新しい生活が始まりますが、心しておかなければならない事があります。それは何でしょうか。」と、問い掛けましたが、ゴシェン入りは、エジプト入りは、神の民としての働きに入ると同時に、訓練の場である、と云う事でしょう。

ゴシェンでの生活は、エジプトでの生活は、エジプトの宗教、文化との混交、同化を恐れ、エジプト人の生活に染まる事、埋もれてしまう事を恐れ、馴染みのない都市生活での、有形無形の損失と、イスラエルに相応しくないモノを取り入れる事を恐れ、イスラエル人の固有性を維持するために腐心するのではなく、神様に従う民である事を、公然と示し、違いを自覚し、明らかにする事であり、この世の影響を受けずに、この世に影響を与える事であり、有形無形に、この世に貢献する事であり、神の民としての、固有性を発揮し続ける事です。これは、簡単な事ではありません。

人間は、本当に弱く、影響を受け易く、周りとの摩擦を嫌い、周りに合わせ易い、性質を持っているからです。特に、多勢に無勢だと、積極的ではないにしても、無批判ではないにしても、妥協し、迎合してしまいます。

自分の内側でも、似たような事が起こります、五十二回しかない主日礼拝に対して、全収入に対しての十分の一献金、などに付いて、神様の教えに従っているでしょうか。

自分の内の問題でも妥協があり、適当に誤魔化し、好い加減にしているならば、この世との妥協、迎合は、火を見るよりも明らかであり、名ばかりの、神の民、クリスチャンに成り下がってしまうでしょう。

「私たちは、羊を飼う者です」との自覚と表明が、エジプトとの距離を保持し、エジプトの習慣の影響を最小限に止める秘訣であり、エジプト人に影響を与えますから、エジプト人も意識し、距離を取らざるを得なくなり、神の民として生きるために必要不可欠な要素となるのです。

そして、「私たちは、クリスチャンです」との自覚と表明が、この世との距離を保持し、この世の習慣の影響を最小限に止める秘訣であり、周りの人々に影響を与えますから、周りの人々も意識し、距離を取らざるを得なくなり、神の民、クリスチャンとして生きるために必要不可欠な要素なのです。

私たちは、クリスチャンです、との自覚と表明があってこそ、この世と関わりつつも、この世からの影響を最小限に止められ、この世に影響を与える存在として歩めるのであり、それは、神様から期待されている生き方であり、存在理由であり、働きです。

この大切な働きを、聖霊様の助けによって、全うしようではありませんか。

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聖書箇所:創世記468節から27節              2018-6-3礼拝

説教題:エジプト入りした人々

【導入】

エジプト入りしたヤコブの家族、一族のリストは民数記26章にも、歴代誌第一2章にも記されています。

一部に若干の相違が見られますが、そもそもは口伝であり、聞き違いや伝え違いがあった事でしょう。

文字による記録に変わってからも、書き写しの時に過ちが起こった、と考えられますが、全般的には、同じ名前の、別の読み方であったり、同一人の、別名であったりする事が多いようで、意識的な、改竄的な事は行われなかった、

口伝、書き写しに際して、神様の導きと守りがあり、大きな齟齬は、根幹に関わる間違いは起こらなかった、と考えてよさそうです。

世の中の、多くの系図の類は、意識的な改竄が加えられ易いモノであり、不都合な者や、不適切な者は、削除され、時には、架空の人物や、英雄の名前が挿入されたりもしますが、聖書に記されている系図や、家族構成は、概ね、真実、と考えてよさそうです。

なぜならば、不都合な事や、醜聞が、包み隠さず記録されているからであり、関係した者の名前が、しっかり記録されており、出来事と関係者に齟齬がないからです。

駄目な人物はゼロ、立派な人物しか記録されていない系図は、胡散臭くはないでしょうか。

先祖を辿れば、多少の問題を持つ人間が何人か居たとしても、当たり前なのではないでしょうか。

そもそも、人間は、罪を持つ者であり、失敗のない者はいないからです。

神様の約束は、恵みや憐れみは、立派な一族に与えられるのではなく、役に立つ一族に与えられるのでもなく、失敗のない一族に与えられるのでもありません。

神様の約束は、恵みや憐れみは、神様の側の、一方的な選びと、約束に対して誠実な神様によって、与えられるのであり、人間の側の功罪で途切れたり、ご破算にはならないのです。

勿論、罪を犯した当人は裁かれますが、父の罪咎を、子が負う事はなく、子の罪咎を、父が負う事もないのです。

罪咎を犯した当人であっても、悔い改めるなら、神様は赦し、恵みと憐れみを与えてくださいます。

それを如実に記録しているのが、一族のリストであり、系図なのです。

神様に従った者の名前のみならず、神様に背いた者の名前も、しっかり記録され、そして、イスラエルの血筋のみならず、異邦人や、いかがわしい商売に就く者の名前も記されているのであり、罪咎を犯す者も、異邦人も、いかがわしい商売に就く者も、神様の選びに加えられ得る事を示しているのです。

【本論】

46:8 エジプトに来たイスラエルの子・・ヤコブとその子・・の名は次のとおりである。ヤコブの長子ルベン。

イスラエルの子」との表現と、「ヤコブとその子」との表現は、「神の選びの民」である事、「神に属する民」である事を意味しており、単に、一族紹介の、枕詞(まくらことば)なのではありません。

アブラハムの子、イサクの子は、イスラエル、ヤコブと云う、二つの名前を持っていますが、「ヤコブ」と云う名前には、「押し退ける者」などの意味があり、自ら切り開いて行く姿をイメージする、権謀術策で世を渡って行こうとする人間をイメージする、如何にもこの世的な、人間的な名前です。

一方、「イスラエル」と云う名前は、神様が与えてくださった名前であり、「神と戦う、神が戦われる」などの意味があり、神様と歩調を合わせる姿をイメージする、神様に信頼して生きて行こうとする人間をイメージする、神の民的な、信仰的な名前です。

相反するような意味を持つ「ヤコブ」と「イスラエル」ですが、同一人物の名前なのであり、この二つの名前は、同格なのであり、遜色はないのです。

人は、人間的な面と、信仰的な面を持つ生き物であり、人間的な面と、信仰的な面の狭間にあって、揺れ動く存在なのです。

常に人間的なのでもなく、常に信仰的なのでもなく、人間的でありつつ、同時に、信仰的でもある、まあ、不思議な存在なのです。

そして、「ヤコブ」と「イスラエル」は、どちらも神の民として扱われている事に注目しなければなりません。

人間的な面が強く出ると、神の民でなくなるのではありません。

非常に人間的で、人間臭ぷんぷんでも、神の民であり、信仰的な面が強く出ている時に、神の民として扱われるのでもありません。

非常に信仰的で、神様に喜ばれる面が強く出ていても、罪人である事に変わりないのです。

「ヤコブ」と「イスラエル」のどちらも、神様に選ばれているのであり、その家族も、神様の民として扱われている事が表現されているのです。

最初に、ヤコブの正妻レアがヤコブに産んだ子の名前と、各々が産んだ孫の名前が、16節から、レアの仕え女ジルパが、ヤコブに産んだ子の名前と、各々が産んだ孫の名前が、19節から、ヤコブが愛したラケルが、ヤコブに産んだ子の名前と、各々が産んだ孫の名前が、23節から、ラケルの仕え女ビルハが、ヤコブに産んだ子の名前と、各々が産んだ孫の名前が、記されます。

46:9 ルベンの子はエノク、パル、ヘツロン、カルミ。

以前扱いましたが、ヤコブの長男「ルベン」には「子を見よ」の意味があり、レアの、ラケルに対する競争意識、丸出しの名前です。

ルベンには四人の子が産まれますが、「エノク」には「従う者」と云う意味が、「パル」には「区別された者」と云う意味が、「ヘツロン」には「村」と云う意味が、「カルミ」には「葡萄園の所有者」と云う意味があるそうです。

46:10 シメオンの子はエムエル、ヤミン、オハデ、ヤキン、ツォハル、カナンの女の産んだ子サウル。

ヤコブの次男「シメオン」には「聞く」の意味があり、シメオンには六人の子が産まれますが、「ヤミン」には「南」或いは、相続人を意味する「右手」の意味が、「ヤキン」には「彼は立てられる」の意味があるそうですが、「エムエル」「オハデ」「ツォハル」「カナン」の意味は不明です。

46:11 レビの子はゲルション、ケハテ、メラリ。

ヤコブの三男「レビ」には「結ぶ」の意味があり、エジプト脱出後は、神の幕屋に仕え、神事を扱う事になり、神様と罪人とを結ぶ、と云う、重要な役割を担う事になる家族です

レビには三人の子が産まれますが、「メラリ」には「苦い」の意味があるそうですが、「ゲルション」「ケハテ」の意味は不明です。

46:12 ユダの子はエル、オナン、シェラ、ペレツ、ゼラフ。しかしエルとオナンはカナンの地で死んだ。ペレツの子はヘツロンとハムルであった。

ヤコブの三男「ユダ」には「誉め称える」の意味があり、ユダには五人の子と、二人の孫が産まれますが、「エル」には「立ち上がる者」の意味が、「オナン」には「精力的、強い」の意味が、「ペレツ」には「力」「破る、割り込む、広がる」などの意味が、「ゼラフ」には「暁、日の出」の意味が、そして、ペレツの子、ヤコブの孫の、「ヘツロン」には「村」の意味が、「ハムル」には「惜しまれる」の意味があるそうですが、「シェラ」の意味は不明です。

46:13 イッサカルの子はトラ、プワ、ヨブ、シムロン。

ヤコブの九男「イッサカル」には「報酬を与える、神が恵みを示してくださるように」の意味があり、イッサカルには四人の子が産まれますが、「トラ」には「虫、緋色の原料」の意味が、「シムロン」には「守備、見張り」の意味があるそうですが、「プア」「ヨブ」の意味は不明です。

46:14 ゼブルンの子はセレデ、エロン、ヤフレエル。

ヤコブの十男「ゼブルン」には「ザバルと共に住む、私は尊ぶ」の意味があり、ゼブルンには三人の子が産まれますが、「エロン」には「樫の木、テレビンの木」の意味があるそうですが、「セレデ」「ヤフレエル」の意味は不明です。

46:15 これらはレアがパダン・アラムでヤコブに産んだ子で、それにその娘ディナがあり、彼の息子、娘たちの総勢は三十三人。

9節から15節までの合計は三十二であり、ヤコブを加えて三十三人になります。

ここで「レアがパダン・アラムでヤコブに産んだ子」との表現を記憶に留めておいてください。

46:16 ガドの子はツィフヨン、ハギ、シュニ、エツボン、エリ、アロディ、アルエリ。

続いてレアの仕え女ジルパが、ヤコブに産んだ子の名前が記されます。

ヤコブの七男「ガド」には「幸運」の意味があり、ガドには七人の子が産まれますが、「ツィフヨン」には「見つめる、見守る」の意味が、「ハギ」には「祝祭の、我が祝祭」の意味が、「エリ」には「主は高められる」の意味が、「アルエリ」には「神の獅子」の意味があるそうですが、「シュニ」「エツボン」「アロディ」の意味は不明です。

46:17 アシェルの子はイムナ、イシュワ、イシュビ、ベリアとその妹セラフ。ベリアの子はヘベル、マルキエル。

ヤコブの八男「アシェル」には「幸せと思う」の意味があり、アシェルには七人の子が産まれますが、「ベリア」には「優れた」の意味が、「ヘベル」には「交わり」の意味が、「マルキエル」には「神が私の王」の意味があるそうですが、「イムナ」「イシュワ」「イシュビ」の意味は不明です。

46:18 これらは、ラバンが娘レアに与えたジルパの子である。彼女がヤコブに産んだのは十六人であった。

16節から18節の合計は十六です。

18節の「ラバンが娘レアに与えたジルパの子」との表現を記憶に留めておいて、そして、15節の表現「レアがパダン・アラムでヤコブに産んだ子」を思い出し、25節の表現「ラバンが娘ラケルに与えたビルハの子」との表現を確認し、19節の表現と比べて頂きたいのです。

46:19 ヤコブの妻ラケルの子はヨセフとベニヤミンである。

15節「レアがパダン・アラムでヤコブに産んだ子」、16節「ラバンが娘レアに与えたジルパの子」、25節「ラバンが娘ラケルに与えたビルハの子」、そして19節「ヤコブの妻ラケルの子」です。

仕え女ジルパ、ビルハは当然としても、レアの紹介の仕方、レアの扱われ方は、如何なものでしょうか。

正妻は「レア」です。

騙されたとしても、本当に結婚したかったのは「ラケル」であったとしても、手続き上でも、関係性でも、状況でも、正妻は「レア」であり、意に反する事でも、受け入れ、15節は「ヤコブの妻レアの子」でなければならないのではないでしょうか。

聖書記者は、ヤコブの、あからさまな態度の差、ヤコブのレアに対する気持ち、態度を、ラケルに対する気持ち、態度を、このような形で記録しているのです。

ラケルに「妻」の肩書きを付けておきながら、正妻の立場にあるレアに、「妻」の名称、敬称を付けないのは、重大な問題であり、家族に不協和音を響かせます。

「ラケル、ビルハ」対「レア、ジルパ」と云う対立構造であり、「ヨセフ、ベニヤミン」対「他の兄弟」と云う、敵対関係です。

神様が結び合わせた、ヤコブの正妻はレアであり、レアを軽んじるのは、神様を軽んじる事であり、ラケルを重んじるのは、神様の選びに対する、重大な反逆行為であり、罪なのではないでしょうか。

ラケルの子にも、重要な役割があり、ヨセフはヤコブ一族を守ると云う、大切な働きを致しますが、レアの子から、レビ一族、祭司の働きに就く者が産まれ、ユダ一族、イスラエル王国治める王が産まれ、救い主がお産まれになるのです。

レアに対しては、ラケルと同等以上の、接し方をしなければならないのです。

レアを第一夫人として遇し、ラケルは第二夫人として遇さなければならないのです。

この地位の逆転は、待遇の間違い、これと似た事は、私たちの周りでも起こります。

教会には、「牧師」と云う立場があり、「長老、執事、役員」と云う立場があり、「伝道師、補教師」と云う立場があり、「牧師夫人」と云う立場があります。

それぞれに、尊敬を払い、その立場を重んじ、働きを認め、相応しく遇しているでしょうか。

立場に相応しい人物か否か、働きをしているか否かを判別するのではありません。

教会では、牧師が引退しても、教会に残る事があります。

経験豊富な引退牧師は、経験の浅い新任牧師、現職牧師を助けたいと思うでしょうし、経験を伝えたいと思うでしょうが、引退しても、教会員から頼られるでしょうし、頼られる事を欲する気持ちもあるでしょうが、基本、頼られてはならず、素振りを見せてもなりません。

教職研修で教わった事は「引退牧師は去れ、表立つな」と云う事でした。

引退牧師は、物理的にも、精神的にも、去らなければならず、表立ってはならないのです。

長老経験者、執事経験者、役員経験者にも、牧師夫人経験者にも、同じ事が言えます。

経験豊富でも、何でも出来ても、一線から退かなければならず、現職が頼りなくても、不足する部分があっても、手出しをしてはならないのです。

ましてや、越権行為となるような行動を取ってはならないのであり、現職を、その立場に相応しく遇さなければならず、それが、神様が立てられた秩序であり、摂理なのです。

家庭に、混乱を招かないために、レアを第一夫人として遇し、ラケルを第二夫人として遇する時、ヤコブ一族は、安泰なのであり、教会も、宣教区も、教団も、神様が立てられた秩序に、摂理に従う事が、安泰と発展の基なのです。

さて、19節にはラケルが、ヤコブに産んだ子の名前が記されます。

ヤコブの十一男「ヨセフ」には「加える」の意味があり、ヤコブの十二男「ベニヤミン」には「苦しみの子、右手の子」の意味があるそうです。

46:20 ヨセフにはエジプトの地で子どもが生まれた。それはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが彼に産んだマナセとエフライムである。

ヨセフには二人の子が産まれますが、「マナセ」には「忘れる」の意味が、「エフライム」には「実り多い」の意味があるそうです

ヨセフは、望郷の念忘れがたい思いを、息子の名前に現し、エジプトで成功した事を、平安な家庭を持った事を、小さな平安を得た事を、息子の名前に現したのです。

46:21 ベニヤミンの子はベラ、ベケル、アシュベル、ゲラ、ナアマン、エヒ、ロシュ、ムピム、フピム、アルデ。

ベニヤミンには十人の子が産まれますが、「ベケル」には「若い駱駝」の意味が、「アシュベル」には「長い上唇を持つ」の意味が、「ゲラ」には「寄留者」の意味が、「ナアマン」には「快適な」の意味が、「ロシュ」には「頭(かしら)」の意味が、「フピム」には「海辺の民」の意味があるそうですが、「ベラ」「エヒ」「ムピム」「アルデ」の意味は不明です。

尚、「ナアマン」と「アルデ」はベニヤミンの子として扱われていますが、「ベラ」の子です。

これには、相続の意味がありそうです。

ヨセフの子、マナセとエフライムは、ヤコブの子として扱われ、ヤコブの子として、マナセ一族として、エフライム一族として、ルベンたちと同じように、相続地の分割を受ける事になりますが、12節に記されているペレツの子、ヘツロン、ハムルは、ユダの孫でありながら、ユダの子として相続に与り、17節に記されているベリアの子、へベル、マルキエルは、アシェルの孫でありながら、アシェルの子として相続に与り、そして、21節に記されているベラの子、ナアマン、アルデは、ベニヤミンの孫でありながら、ベニヤミンの子として相続に与るのです。

そして、15節にはレアの娘ディナの名前が、17節にはベリアの妹セラフの名前が、挙げられていますが、数字合わせで名前が挙げられているのではありません。

無意味に、名前が載せられる事はないのであり、聖書には記されていませんが、相続に関わっているのは確実でしょう。

土地の継承は、非常に重要な事であり、単に財産の継承ではなく、神様から預かるのであり、預かったなりの大きな責任と義務が伴います。

その責任と義務に、姉と妹の差、正妻と仕え女の差、子と孫の差、男と女の差はありません。

皆が、神様に対して、責任と義務を負っているのであり、神様に対して、であり、人に対してではありません。

神様に対して、与えられ、預かった能力、置かれた立場、環境の中で、誠実に、仕えるのが肝要なのです。

46:22 これらはラケルがヤコブに産んだ子で、みなで十四人である。

ラケルの実子は二人ですが、孫十二人もラケルの子として扱われているのであり、ラケルへの祝福として見なければなりません。

実子の数ではなく、孫、ひ孫、子孫を含めて見なければならず、一族が、神様との関係において、どうだったか、こそが、重要な視点です。

子沢山、しかし、無神論者の集まり、神を恐れず、人を恐れない集団に、何の意味がありましょう。

しかし、子がなくても、神を信じ、神様に仕えた生涯ならば、どんなにか意義と意味が大きいでしょう。

最後に、

46:23 ダンの子はフシム。

ヤコブの五男「ダン」には「正しく裁く」の意味があり、ダンには一人の子が産まれますが、「フシム」の意味は不明です。

46:24 ナフタリの子はヤフツェエル、グニ、エツェル、シレム。

ヤコブの六男「ナフタリ」には「争う」の意味があり、ナフタリには四人の子が産まれますが、「エツェル」には「尊いもの」の意味があるそうですが、「ヤフツェエル」「グニ」「シレム」の意味は不明です。

46:25 これらはラバンが娘ラケルに与えたビルハの子である。彼女がヤコブに産んだのはみなで七人であった。

46:26 ヤコブに属する者、すなわち、ヤコブから生まれた子でエジプトへ行った者は、ヤコブの息子たちの妻は別として、みなで六十六人であった。

この六十六と云う人数は、ヤコブと、ヨセフと、マナセ、エフライムを抜いた人数のようです。

そして、この四人を加えたのが、27節に記されている人数です。

46:27 エジプトでヨセフに生まれた子らはふたりで、エジプトに行ったヤコブの家族はみなで七十人であった。

イスラエル人にとって、七、或いは七の倍数と云う数は、完全数と考えられ、七、或いは七十の倍数に揃える、傾向があります。

マタイの福音書1章に記されているイエス様の系図、然り、です。

しかし、実際には、12節に記されていたように、ユダの子、エルとオナンは死んでおり、26節の人数は、六十四人であり、27節の人数は、六十八人です。

エルと、オナンは、神様を怒らせ、エルと、オナンは、警告のために打たれましたが、しかし、神様の眼には、皆が生きているのであり、不敬虔な者も数に入れられており、不敬虔な者にも、相続分がある事を、教えているのではないでしょうか。

これは、比喩であり、神様を怒らせたなら、即、OUT、一切の祝福が取り去られ、何の権利も、取り分もなくなってしまうのではなく、一時的には祝福に与れないかも知れませんが、悔い改めるまで、取って置かれるのであり、悔い改めと同時に、権利は回復するのです。

イエス様は不敬虔な者のために、十字架に架かってくださったのであり、ローマ書45節、新改訳第3版は294ページ、新改訳2017302ページ、

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです」。

【適応】

エジプト入りした七十人の人々は、神様が、アブラハムの子孫に与えると約束した、カナンの地に、帰る事もなく、カナンの地を見る事もなく、カナンの地を踏む事もありませんでしたが、エジプト入りした七十人の人々の子孫が、四百三十年後に、エジプトを脱出し、その四十年後に、約束の地、カナンに入り、相続地として受け取るのです。

アブラハムに与えられた約束の時から数えたならば、優に五百年は越えていた事でしょう。

神様のお約束は、即、実現する訳ではありません。

世代を越えてから、想像を遥かに越えてから、実現する事もあるのであり、エジプト入りした七十人から出発した、ヤコブの子孫が、カナンを相続するのですが、ユダ部族と、ベニヤミン部族は、南ユダ王国として残りますが、紀元前600年頃に滅亡します。

その他の10部族からなる北イスラエル王国は、紀元前700年頃に滅亡し、消滅してしまいました。

レビ部族と、ユダ部族が、細々と残ったに過ぎませんが、問題は、エジプト入りして、どう生きたかです。

今回、ヤコブの子や孫の名前の意味を、調べ得た範囲で紹介しましたが、その名前に相応しい、或いは、名前に込められた意味通りの生涯だったかどうかは不明です。

しかし、名前の多くは、信仰生活に関係深い名前です。

ヤコブの長男「ルベン」には「子を見よ」の意味があると申しましたが、子は、神様からの預かり物であり、神様に対しての責任で養育しなければなりません。

「エノク」には「従う者」と云う意味があると申しましたが、神様に従った人生であるかどうかを吟味しなければならず、「パル」には「区別された者」と云う意味があると申しましたが、この世に染まってしまっていないか、この世と妥協しているか否かを吟味しなければならず、「ヘツロン」には「村」と云う意味があると申しましたが、信仰者の群れと云うコミュニティーに属している事を自覚した生き方をしているか否かを吟味しなければならず、「カルミ」には「葡萄園の所有者」と云う意味があると申しましたが、葡萄園、即ち、神の国を管理する使命の自覚と、実行があるか否かを吟味しなければならないのです。

名前の意味を、一言で言い表すなら「神を愛し、人を愛する」でしょう。

エジプトに媚を売り、同化し、生き残る道を歩んだか、区別されたものとして、困難な中にあっても、神様に従い通したか、コミュニティーに属する事を誇りとして生きて来たか、使命を自覚し、使命に生きて来たか、です。

皆さんは、神様に遣わされて「この世入り」した信仰者です。

この世に染まるか、この世と区別され、使命に生きるか、です。

「唯一の神、創造主なる神」によって遣わされた場所で、神の民として歩もうではありませんか。

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